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Scene26

 やっとネタバレ回。
 さて、次こそ最終話だ、多分。



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 奥行った林のように整然と、冷然と、ソレは幾百も聳え立っていた。敷居面積はどれぐらいなのだろうか。考えるのも億劫になるほどの広々としたその区画に、いくつかの影が浮かんでいる。影が、躍っている。銀閃を振るいながら、とどまることを知らないかのようにひたすらに動き続けていた。
 一つの影を中心に、ぐるりと円を描くようにして他の影が躍る。中央の影は腕を切り飛ばされて血飛沫を迸らせながら、止血を行う暇すら与えられない。柱のようにも見える円筒形の何かを影にしながら、必死に距離を取ろうとするものの、他の筒の影から現れた別の影に武器を振るい落とされる。
 歯噛みをする暇すら、ない。鬼のような形相で床を蹴り、距離を置く。逃げ惑う影をあざ笑うように、更に影の数は増加した。視認出来る限りで百はこえているだろう。朧気に視界が霞んでいく中、それでも影は必死に地を蹴り、身を屈め、逃げ続けた。

 逃げて、逃げて、逃げて。
 後に多くの影を引き連れながら、影は逃げ続ける。血が流れる。床が朱に染まる。

 そして、影の長い髪の毛がつかまれ、引きずり倒され。
 もがくように伸びた右腕が、床へと伏せられ。

 覆いかぶさるように殺到していた影が一つ一つに分離していく。樹立している柱の影に溶け込むようにして一つずつ影が消えていき、一番はじめに倒れていた影は、ゆらりと、幽鬼のように立ち上がり。
 その影の一つに混ざるようにして、柱の影へと、消えていった。


 ――――そして、ぼくは。
 目を覚ました。





 目覚めは、誰に言うまでもなく最悪だった。
 両目を見開いた状態で荒く息をつく。爽やかとは言いがたい量の寝汗を吸った肌着を変えたかったが、今は起き上がることさえ面倒だった。肩までかけているシーツを引き込んで、カヴァクはため息をつくように、深く、息を吐いた。もう一度寝なおそうと思って両目を閉じても、完全に目覚めてしまったようで、瞼の中で眼球が動く感触がどうにも気持ち悪かった。枕の上で顔を横に向けて、そのままもぞもぞとシーツの中で身を丸める。

 大群に追い掛け回されて腕をもがれた挙句、抵抗空しく滅多打ちにされる光景。まるでゾンビのようだ、と、初めて見たとき彼は思った。つかまったら最後、そこにいる全員から攻撃を受け、最後には同じ一員に成り下がる。まったくもって、見ていて気分のいいものではない。
 たとえ、その対象が、自分ではないとしても。

 そして、再びあの夢を見た、ということは。
 それが意味をすることは。

「……また、失敗か」

 もう一度、やり直し。
 夢の内容よりも、むしろその事実のほうがカヴァクに重くのしかかる。いっそ本当にもう一度眠りなおしたいところだ。睡眠時間が圧倒的に足りていないのだから、ここで眠ってしまっても構わないだろう。ここ数日、何に覚醒したか知らないがひたすらにラウレルが昼夜問わず彼の部屋に押しかけるようになったせいで、端末を操作するのは深夜だけに限られてしまった。ごりごりと削られていく睡眠時間に比例して、自分に残された時間は圧倒的に足りていない。
 ラウレルがいる横で作業することは、もうできなくなってしまった。今までのラウレルならば、自分が何をしていようが無関心を貫き通していただろう。カヴァクという少年にとって、ラウレルの保つ距離感は心地よかったものの、少しいじり方を間違えてしまったせいで、ラウレルはもうその距離を一気に踏み倒してしまった。
 その距離もまた、意外にも心地よかった。きっと、ここまで追い込まれていなかったのなら、その距離に甘えてしまっていただろう。

 しかし、もう、それは自分には許されない。
 許してはいけない。縋っては、いけない。縋った先の未来が、視えてしまったのだから。その未来は、許してはいけない、いつもの結末だった。

 先程の夢を思い出して、苦々しく顔を歪めた。
 過程を少しずつ変えて、未来を少しずつ変えていく。皆のためにやっているのに、何故自分だけこうやって割を食うのか。いまいちカヴァクとしては納得できていない。
 とはいえ、自分しかやれないなら、きっとやるべきなんだろう。ひょんなことにも、こういうことに長けていて、そして。


 ――――全生命反応、良好


 薄目を開けて、端末を見やる。
 薄青い光を漏らしながら操作途中で放置してある端末は、今は特に何かを発しているわけではない。昨日の夜にいくつか「実験」としてサーバーへと叩き込んでみたが、その時点で力尽きてしまったのだ。モニターに写されているのはその残滓とも言えるもので、ただの出力画面だ。なのに、こうして脳内に変な音が響く。

 自分しかやれないのだから、きっとやるべきことだったんだろう。
 それが、こんな副産物を産んでしまったが。

 思考がどんどんと渦の中に飲み込まれていく感覚を振り払いたくて、いい加減天井を睨みつけるのを諦めた。
 ごろんと寝返りを打って壁のほうを向く。

 自分で思っていたより、どうやら思考の渦に飲まれていたらしい。
 
「はぁい。お目覚め?」
「……あ、うん、おはよ。トリス」

 誰かが自分の横にもぐりこんでいることさえ、気づかないレベルで。

 カヴァクらしくもなく、呆けた声が口から漏れた。
 その表情が面白かったのか、トリスはシーツを広げながらにやにやと笑ってカヴァクの顔を覗き込む。

「ん? どうしたの、熱でもある?」
「人のベッドの中に潜り込んで堂々と胸元を広げながらきみは何を言っているのかね」
「何で説明口調なの。そして何であんたは何の恥じらいも持たずに胸に抱きついてくるの」
「説明口調はお互い様だね、トリス」
「そこはわたしじゃない」
「あいた」

 むにむにと頬に当たる感触に目を細めながら声をかけたら、まるで胸元に抱き込まれるようにはたかれた。これはもっと抱きついていいと言うことだと脳内で独自解釈したカヴァクは、口では抗議の声を上げつつその弾力を堪能する。文句のような文句でないような言葉を一つだけ残したトリスも、特に彼を引き剥がしはしなかった。
 目が開いた瞬間に覚醒していた脳では、寝ぼけて抱きついた、などという言い訳は通用しない。元よりそんな言い訳をするつもりも、必要もなかった。トリスは小さく息を抜いて、ぽんぽんとカヴァクの頭を撫でるように叩いた。谷間に顔を押し付けながら、カヴァクが如何の声を上げる。
 黙考三秒。トリスはカヴァクの顎を掴んで、無理やり自分のほうを向かせた。

「あんた、最近寝てる?」
「添い寝ネタはそろそろ使い飽きてきたんだけど、トリスはどう思う? いやいや、きみが真に望んでいるなら吝かではないところかぼくはいつでもオールオッケーだよ」
「添い寝するぐらいであんたがちゃんと寝るなら、わたしは構わないけど」

 あっけらかんと言うわけではなく、カヴァクを射抜くように見つめるトリスの瞳は、ただひたすらに真摯であった。顎をつかまれてる以上、顔を背けるわけにも行かず、カヴァクは肩をすくめる仕草をしながら眼球だけを動かして無理やり視線を外した。

「そこで真面目に返されて、ぼくにどうしろと言うんだい」
「ちゃんと寝なさい」
「むー」

 自分の目の下の隈は、隠せないレベルまで酷くなってしまったらしい。トリスに投げかけられた質問は、そのまま、ラウレルにも言われた言葉だ。ここ数日ずっと自室に引きこもっていたため、昼夜構わず訪れていたラウレルが一番最初に気づいただけだが、おそらくトリスと顔をあわせていれば隈ができた初日に気づかれただろう。
 眠れるようなら、眠っていたいよ。カヴァクはむくれた振りをしながら胸中でため息をつく。

 夢見が悪いせいで眠れない、という、わけではない。それが理由の一端になっていることは認めるが、単に、カヴァクは眠る時間が惜しいのだ。彼に事の異常さに気づかれるのも時間の問題で、もし気づかれてしまえば、後はなし崩し的に全てが崩壊してしまう。今はまだ、未来を書き換えてしまう程の条件は整っていない。そのために二ヶ月を提示したのだ。条件を揃えるため、全てをひっくり返せるだけの手札が揃うまで。
 そう説明して、果たして何人が受け入れてくれるだろう。
 そもそも、どうやって説明すればいいのだろうか。

 急がなければ、この世界が壊れてしまう、なんて。
 タイムリミットはもうそこまできている、だなんて。

「よし、じゃあ、トリスが漫画読んでる間に眠るから。ほら、読みたい漫画は三番目の本棚の二列目の二十三冊目」
「ああ、うん、この間は全部読めなかったから……って、そうじゃない。逸らさないの」

 在りもしない三番目の本棚を一瞥しただけのトリスは、すぐさまカヴァクへと意識を戻す。
 今、彼女はしっかりと、三番目の本棚を認識した。奇数の回には存在し、偶数の回には存在しない。その本棚を、偶数の回のトリスが認識した。その事実すら、カヴァクにとってはその理屈を正当化する手段であるというのに。
 けれど、その事実はカヴァクにしか認識できずに、嘘つきで狼少年の自分が言えば、荒唐無稽すぎていつものことかと流されるだろう。
 セニアみたいに真面目を体現しているような少女が言っても、おそらく適当に笑って終わるだろう。
 自分だって笑って終わらせてしまう自信はある。

 世界が壊れてしまう、なんて、そんな荒唐無稽な非情な現実。
 声にすれば凄く陳腐に聞こえてしまうその言葉は、そっくりそのまま、何の衒いもなく装飾もなく、そのままの意味だった。いきなり空間に皹が入って粉々に砕けてしまう、などといった、物理的な崩壊ではなく。全ての生命が死滅して世界が枯渇してしまう、などといった、空想幻想にまみれた夢物語ではなく。

「じゃあ、ここで眠る」
「まったく……もう、勝手にしなさい」

 目の前の少女だけは、そんな妄言にも似た自分の言葉を信じてくれるだろう。笑うかもしれない。それでも、信じてくれる。きっと真面目な顔で言えば、ラウレルも信じてくれるかもしれない。イレンドも、人がいいから信じてくれるかもしれない。セニアはどうだろう。困りながら、それでも、純朴な彼女のことだ。真摯に訴えれば信じてくれるかも、しれない。アルマイアを説得するのは難しそうだ、と、カヴァクはトリスの胸の中で自嘲気味に笑う。

 でも、信じたところでどうなるというのだろう。
 既に、その壊れた世界に自分たちはいるのに。

 知られたところで、どうせ、全てがリセットされてしまうだけだ。
 システム、と、呼ばれている、この世界が。

 この世界は、ループする。
 そんなふざけた仕組みになっていることを、カヴァクはつい数ヶ月前まで何も知らなかった。知る由もなかった。知らず、自分は何年も何十年も、今のこの体のまま、記憶だけを漂白されて過ごしてきた。自分は、そういう、役割だった。今自分を抱きしめてくれている少女を含め、自分たち六人はただの脇役に過ぎず、時がくれば全てを一から再構築し、繰り返される日常を過ごすためだけの存在だった。

 つい、数ヶ月前までは。


 ―――――データパラメーター変異。
 ――――再演算開始します。


 脳内に、無機質な声が響く。その声にカヴァクは何も返さず、沈黙を保った。
 
 世界というものは、認識されない限り存在しない。そういう哲学めいたことを、以前何かの本で読んだ記憶がある。果たして自分が本当に本を読んだのか、それとも、「そういう風に」記憶が構築されているかはわからない。けれど、知識として、自分の思考の中に在る。
 その摂理に従うならば、このシステムを認識する者が必要であり、そして事実、そのシステムを認識する者がいた。

 一つ、このシステムを作り出した人間たち。しかし、この人間たちは遥か数十年以上前に全員死亡している。原因は、エレメス=ガイルによる、大量虐殺。
 二つ、その渦中の人間である、エレメス=ガイル。自分に変な依頼をしてきた存在であり、何か胡散臭いとは感じていたものの、本当に胡散臭い人物だったようだ。
 そして、三つ。自分のように、その摂理に触れてしまった、モノ。

 もう、目の前の少女たちがいる壊れた世界に、在れなくなった、モノ。
 その少女たちを構築するモノを、知ってしまった、外れてしまったモノ。

 それが、自分。
 カヴァク=イカルスだった。

「仕方ない、トリスにだけは言っておこうかな」
「あれ、起きてたの? 静かだから寝ちゃったかと思ってた」

 それぞれ三者とも、システムを認識する経緯が違う。そして、経緯が違えば、認識する方法もまた、違った。
 システムを作成した者たちは、その研究結果を元にシステムを認識した。非検体からのデータを採取するためにシステムを構築し、そのシステムを認識した。システムが生み出した結果という過去を基軸に、システムを認識した。
 エレメスは、今生きているこの時を元に、このシステムを認識している。このシステムの中で彼が何を考えながら生きているかは知らない。このシステムの一端の解析をカヴァクに頼むぐらいだから、おそらく解き明かそうとはしているのだろう。そうやって、日々の蓄積によって、彼はシステムを認識する。現在を基軸として、認識する。

 そして、カヴァクは。
 システムの内側の根幹に触れてしまった彼は。

「ちょっと今、行き詰っててね。そのために深夜せっせと夜なべをして完成を目指しているものがあるんだ。もう少し寝不足が続くかもしれないから、あまり気にしないで。そして気にするぐらいなら、日々ぼくに襲い掛かる暴力を少し減らすといいと思うよ?」
「胸にべたべた触られても殴ってないわたしに、今ソレを言う?」
「すみませんごめんなさい謝ります」

 笑いながら、カヴァクはトリスとじゃれあう。
 今生きている現在が、過去にすぎていく時間を感じながら。

 今見えている光景を、繰り返される日々を。
 せめて、忘れないように。

 知っている明日を、繰り返さないように。
 未来を基軸として、彼は、システムを破壊する。


 ――――再演算終了。
 ――――全生命反応、消失。


 未来はまだ何も変わらない。演算結果は、何も変えてはくれない。
 だから、自分が変えなければいけない。遅れて始まった夢は、夢と認識した自分が、醒まさないといけないんだ。

 夢だと認識した瞬間。
 システムに、触れてしまったあの瞬間。
 エレメスに頼まれたとおり、全てのパラメーターを作成して、それをサーバーへと送りつけた、その瞬間。

 自分の脳内に、その光景は広がった。

 全ては現在のデータから試算される、ただの結果表示。ただの仮想した未来。
 しかし、そのデータが、全て現時点での最新で、全てが予定調和で行われるスケジューリングならば。
 絶対に外れない仮想未来ならば。
 その結果は、いわば、予知とも言えた。

 今この瞬間にも、パラメーターは随時変化していく。未来を構築するその小さなピースは、誰かが行動を起こしたその瞬間から大きなピースに変わり、そして関係ないピースは消えていく。そのために、彼は、存在する現在に向けて、石を投じる。
 何回も試算を繰り返し、行動を変え、結果を求める。今見えている未来―――世界の崩壊を変えるべく、ただひたすらに彼はシステムに介入する。
 しかし、いくら我を殺しても、結果は未だ変わらない。皆に説明して未来を変えることは一番初めに試した。だが、結果は変わらなかった。だから、次の手を求めた。皆の前で、皆を欺きながら、揺さぶりをかけ、未来が変わることを願った。
 罵倒されても、泣き付かれても、泣き疲れても、歯を食いしばって前を向いた。未来を、見つめた。

 皆、死ぬ。世界が、終わってしまう。

 だから、眠っている暇なんて彼にはなかった。眠る暇があるなら、少しでも多く、未来を変えなければいけない。
 
 皆が知らない世界を知ってしまったモノとして。
 笑いあう日々の中の皹に気づいたモノとして。

 カヴァクは、深く、胸中で想いを告げる。愛しい人に抱かれながら、想いを込める。

 始まってしまった夢を変えるために。
 現在の観測者を殺し、最悪の未来を、変更する。

 それが、彼と彼女の望みでもあるから。

 現在の観測者が生きている限り、未来は変わらない。
 彼が望むもの、彼が行うもの。それがある限り、未来は変わらない。
 その事実を、彼の行動原理の意味を、おそらく、観測者も知らないのだろう。知っていたなら、こんな未来にならないはずだ。
 自分が識っている未来。彼が視ている現在。どちらが正しいかはわからない。どちらも等しく間違えていて、もしかすると、彼の起こしている行動も、自分が変えようとしている未来も、システムによって敷かれたスケジューリングなのかもしれない。解き明かした、と、ただ単に、カヴァク=イカルスが認識しているだけなのかも、しれない。

 それでも。
 カヴァク=イカルスは、挫けない。
 夢は醒めないと、いけないのだから。
by akira_ikuya | 2010-04-30 03:52 | 二次創作


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