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Scene0-2

 原稿のほうをある程度書いて、息抜きにちまちま書いてたLPのほうが何故か思いのほか筆進んじゃったのでアップ。次がいつかは今のトコはまだ未定です。



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 食堂を出て、最初の五歩はまっすぐに。しかし、その次の六歩目を踏もうとしたところで、エレメスは咄嗟に右手を廊下の壁に叩きつけた。まだ食堂にいる皆に聴こえないように、衝撃を何とか押し殺して物音を削ぐ。
 冬のシンとした廊下はただでさえ物音が響きやすいのにと思いながら、エレメスは壁によりかかる。ぐらつく頭を恨めしく思いつつも、少しそこから動けそうになかった。

 食堂で歌っているときも感じていたが、何故か意識が重い。

「少し酔いすぎたでござろうか……」

 昔の仕事柄、酒を体の中で分解するのは長けているはずなのに。そう思っていても、目の前が明滅するかのように視界が定まらない。
 ぜい、と熱が混ざった息を吐く。顔を覆い被せようとする青錆色の髪の毛を左手で掻き揚げながら、右手を壁から離すことはできなかった。
 酒を飲んだまま無呼吸に近い方法で歌ったのが悪かったのか。合唱などを聞くことはあれど、歌うことなどほとんどなかったため適当に歌っていたのが、実は無茶な歌い方だったのかもしれない。酸欠に近い息苦しさもある。いっそのこと唄など歌えなければこんなことにもならなかっただろうに、変に器用貧乏な自分の多才ぶりがこんなときは憎い。
 ああ、違う。何て意味のないことを考えている。歌ったからこうなったなら歌わなければよかったなど、こんな思考、いつもの自分ならばありえない。しっかりしろ。

「少し、落ち着こう」

 無理に立たせていた体を壁にもたらせて、そのままずるずると座り込む。吐いた息を掌にためて臭いを確かめてみても、酒臭さは微かにしか嗅ぎ取れなかった。そこまで酔っていない、はずだ。

 頭を後ろに向けて、一つ、二つ、三つと数を数える。数えるペースにあわせて、息を吸い、吐き、また吸う。
 金褐色の瞳がぐるりと円を描くような錯覚。首後ろにたまっていた熱がごっそりと消えていく、そんな喪失感。体の中から毒素がうっすらと抜けていくのが感覚でわかる。
 姫と慕って追いかけている相手の部屋へいくというのに、酔ったままなんぞ行けるはずがない。いや、行ったところでホーリーライトを赤みがかった顔にもれなく一発もらってご退場となるだろう。彼女は酔っ払いに対して愛を注いでくれるほど、平等ではない。
 それはまさしく、夕方感じた聖母のように。

「よし」

 酔いも引いた。すっくと立ち上がるも、先ほどまでの足元が揺らぐ感覚も消えている。
 カツン、と先端が尖った戦闘靴を鳴らす。まるで身を切るようなまでに澄み切った硝子色の空気に反響する音は、クリアに耳を通過して脳みそまで透過させた。
 体の五感に対する影響も消えている。

 そして、同様にクリアになった視界の先に、金がかかった茶の髪が踊るのが見えた。

「あれ、もう終わったの?」
「セシル殿こそ、弓のほうはもういいので?」

 扉を閉めてこちらの姿に気づいたセシルは、目をぱちくりと瞬かせてエレメスを見やった。嫌なタイミング、とは過言かもしれないが、エレメスは彼女と鉢合わせてしまったことに少しばかりのばつの悪さを感じる。存外、セシル=ディモンという少女は、言動のはしはしに幼さが残るくせに、時々妙に観察眼が鋭いときがあるのだ。
 人の心の機微でも、体調の良し悪しでも。今の自分の体調を知られるのは、何となくではあるが、嫌だった。

「少し弦が緩んでただけだったしね。軽くメンテナンスしたらあっさり直っちゃった」
「左様でござるか。それで、今から再び食堂へ?」
「うーん……そうしようかな、ってホントは思ってたんだけど……」

 二人の立ち位置は自然に動いていた。
 エレメスは壁に寄りかかり、セシルはその隣に。隣、とは言えど、数十センチ離れた位置に。互いに意図して動いたわけではないけれど、その距離がそれぞれの居場所を明確に示している。
 エレメスの言葉を受けて、セシルはつぅと視線を移してエレメスを横から見上げた。視線を合わせて、エレメスは小さく首をかしげる。その視線の意味が本当にわかっていないかのように。そして、にぱっと無邪気なまでに破顔して見せた。

「まだ皆残ってるゆえ、戻るといいと思うでござるよ」
「……うーん。あんたは?」
「拙者でござるか? 拙者は少し用があるゆえ、先ほど抜けてきたところでござるが」
「用?」
「少しばかり、姫に」
「…………ふーん」

 セシルの切れ長いサファイアの瞳が、更にすっと細められる。何だか廊下のクリアな空気が、クリアというかシャープというかそういう具体的なものに変わったような気がするのだが何故だろう。笑ったまま顔が思わず固まってしまったエレメスの背中に、冷たい汗がたらりと一筋。
 何だろう、この子がこんな顔をするときは、大体自分がろくでもない目にあうのがここ毎日の情景なのだけど。

「セ、セシル殿?」
「あによ」
「いや、別に用があるわけではなくて、その」
「そーね。あたしに用なんかないわよね。エレメスが用があるのはマーガレッタだもんね?」
「な、何か怖いでござるよセシル殿。いきなりどうしたでござるか」
「べっつにー。……あーあ、何かお酒とかそんな気分じゃなくなっちゃった。誰もいないうちにお風呂行っちゃおっと」

 壁から背を離し、セシルはつい先ほど出てきたばかりの自室へ戻ろうと踵を返した。彼女がへそを曲げているのはさしものエレメスの目から見ても明らかだったが、いかんせん、さっぱり理由がわからないままの彼は黙ってそれを見送るしかない。おかしい、先ほどまではそんなに悪い雰囲気ではなかったはずなのに。
 そして、部屋へ入る直前。ブーツの音を静かな廊下に機嫌悪く一度打ち付けて、セシルは顔だけを出してエレメスを見た。

「あんた、調子悪いなら今日はもう早く寝なさいね」

 一瞬、言葉に詰まった。不意をつかれる、とは、正にこのことだろうか。

「…………やはり気づいておられたか」
「べっつにー。あんた何か気にかけた覚えなんてないけど……あんたの顔、見飽きるぐらい見てるんだから、わかっただけよ」
「心配かけたでござるな」
「だーれがあんたなんかの心配なんてするっていうのよ」

 むすっと膨れる彼女に、エレメスは困った風にへらりと笑みを作った。

「ありがとう、セシル殿」
「だから心配なんてしてないっ!」

 恥ずかしいのか、顔を若干紅く染めて引っ込もうとしたが、ふと何かを思い出したかのように彼女が止まる。一度茶色の髪が宙を撫で、そして、

「……なんか、あたし。あんたのその笑い顔、大っ嫌い」

 その笑顔を好きだと言った躯体からだで、彼女はそんなことを呟いた。

「そんな事を言われ申しても、拙者は生まれてこの方ずっとこの顔で……」
「ふんだ。しーらない。さっさと寝ちゃえ、バカ」

 今度こそ完全に茶色の髪の毛は部屋の中へと消え、廊下に再び静寂が戻った。言うだけ言って引っ込んでしまったセシルに、エレメスはやっぱり困ったように笑う。微笑む。知らずに言っているのか、それとも、魂か何かそういうものがやはり自分たちにも存在して、その根っこの部分が彼女に何かを告げているのか。パンドラの箱である彼女の記憶を突付いているのだろうか。
 パタンと閉じられた扉の向こうにいる少女にすらわからない答えを、彼などが知る由も無い。

 壁にもたれたまま、エレメスはふぅと息をついた。酩酊感ももう残っていない。胸を緩く締め付けるような息苦しさと痛みがあるが、これは別に、今に始まったことではない。
 この痛みを一生を以って引きずることは、とうの昔に決断したことだ。

 確かに今、自分は独りだ。けれど、決して一人ではない。あの血塗れた約束をしたときに比べれば、皆が自分の周りにいてくれる今は正に桃源郷のようだ。たとえそれが、仮初の幻想だとしても。
 全てが終わるまで、後どれぐらいの時間がかかるかはわからない。まだ目安すらない。それだけの距離を歩いていかなければいけないのだ。一々、この程度の痛みで歩みを止めていい道理など、ない。自分は歩き続けて、走り続けて、そして。

「……行くか」

 壁から離れ、エレメスはもう目と鼻の先に迫ったマーガレッタ=ソリンの部屋へと向かう。
 セイレンの部屋の前を横切り、カトリーヌの部屋の前を越す。セイレンの部屋は壁の左側に沿うように、カトリーヌの部屋は壁の右側に沿うように。そして、自室はカトリーヌの部屋を越えた壁の左側に。ちょうど男女の部屋がジグザグになるように、自分たちは自室を決めていた。
 そして、その四つ目。扉を柔らかくノックする。

 いとおしさすら感じたあの綺麗な旋律の意味と、そして、彼女が浮かべていた憂鬱の色を知るために。
by Akira_Ikuya | 2007-06-21 20:19 | 二次創作


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