Scene0 - 1

 とうとう投下しちゃったLP第二幕。もう後には引けません。



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その唄は、いつも厨房から聴こえてきていた。




 食堂の扉を開けようと、銀色の取っ手を手に取ったエレメス=ガイルは眉根を寄せた。取っ手を伝わって、掌に薄く振動が伝わってくる。
 伝わるといっても、そんな大きな振幅じゃない。ただ静かに、本当に微弱に伝わるだけだ。エレメスでなければ何事もなく開いていただろう。いや、セシル=ディモンならあるいは気づけただろうか。

 これは、音だ。音が銀製の金属部の取っ手に触れて、本当に微弱な振動を出しているのだ。
 金属にまで響かせる音だからといって、伝わるのはこの振動だけ。扉の向こうから音など聞こえない。取っ手を握ったまま、少しだけ目を閉じて耳を澄ませてみると―――高い、声のようなものが聞こえてきた。
 閉じられた食堂から、声。一瞬不吉な考えがよぎるも、大きな音ではないため、戦闘狂音ではないだろう。それに、この振動は声というより――――。

 今日の料理当番は誰だったか。そんなことを考えながら、エレメスは無遠慮にその取っ手を捻った。

「―――ほぉ、これは」

 言葉が色を持ったなら、きっと彼女の髪のように流れる金細工のような煌きを持っていただろうか。
 雑な音など一切混じらず、呼吸音ですらその場に介入させたくないほどの、澄んだ高い高いソプラノ。甲高いだけのヒステリックな声ではなく、まさしく彼女の持つ金色の長い艶やかな髪のように清く、美しい、歌声。知らず自分の双眸が閉じてしまう。セイレーンの歌声のように、その歌声は何者も魅了する麻薬のようなものを持っていた。

 彼女の歌う姿を見たくて、エレメスは閉じていた目を静かに開く。

 窓枠に手をかけ、形だけの窓に背を預けるようにして彼女は歌っていた。普段は旺盛な好奇心のままに何事にも朱色に輝かせているその双眸を閉じて、彼女は歌詞のないその歌を、少しも声を出し惜しむことなく歌っていた。ラ、という一音だけの澄んだ歌声が、さほど広くもない食堂に響き渡る。
 歌声が食堂から廊下へ漏れる。それが何だか口惜しくて、彼女の聖域を汚さないよう、エレメスは音を極力立てずに大きな食堂の扉を閉じた。

 彼女が歌う姿を、初めて、見た。目を閉じて、聞いたことがない歌――――彼女が歌うのだから、おそらく賛美歌なのだろう――――を歌う彼女に、エレメスは眩しげに目を細めた。そして、その姿に憧憬にすら似た思いを抱く。今まで欠片も信じたことなかった神教に出てくる聖母という姿は、このようなことを言うのだろうかと。赤い法衣に身を包み、金色の髪を流して歌う彼女にとってそれは、まさにぴったりな憧憬だった。

 エレメスが食堂に入って三小節を数えたぐらいで、彼女は唐突に歌うのを止めた。ぴたり、と今まで流れていた空気が止まるかのようなその唐突さに、エレメスは気づけば再び閉じられていた眼を開く。寄りかかっていた食堂の扉から、自然と体が離れた。

「盗み聞きとは、あまり感心しませんわよ?」
「相すまぬ。姫の歌声が、あまりにも甘美なもので聞き蕩れていたのでござるよ」

 マーガレッタ=ソリンは、エレメスと同じように窓枠から一歩離れてこちらを見据えていた。開かれた朱の瞳が、悪さをした孤児を叱るような色を写してエレメスを映す。
 エレメスはその言葉に、悪びれもせずにぱっと笑みを浮かべた。言葉こそふざけてはいるものの、まったくの本心からの賛辞であった。

「珍しい歌でござったな。拙者、今まで色々な地方の民謡や祭歌などを聞いてきたでござるが、今聞いたのは初耳でござるよ」

 言葉を聞き、マーガレッタは僅かに苦笑する。

「エレメスにとっては、賛美歌全てが初耳でしょうに」
「確かに生まれた身分からは遠いでござるが、信仰など知らずともロイ・カ・オルフの聖典ぐらいは知っているでござるよ」
「ロイ・カ・オルフの聖典……普通は知られていない賛美歌ですのに、変なところで詳しいのですわね」

 暗殺者と賛美歌。
 決して相計れることのない二つの存在と思っていたのに軽がるとその言葉が出てきたことに、マーガレッタは少しだけ可笑しさを感じた。
 ロイ・カ・オルフの聖典というのは、ミッドカルズ王国が国をあげて支援している教会が保持している聖典の一つで、一般的にはその書物の名として知られている。これはこの教えの教徒ならば誰もが始めに模写する聖典であり、教徒でなくても書物の名前ぐらいは知っている一般人も多い。
 けれど、その聖典を賛美歌として起こしたのを知る者は少ない。
 何故なら、その歌は主なる父が唯一起こした過ちについて歌われた歌だからだ。賛美歌であるはずなのに、その歌の歌詞は主なる父の過ちを浮き彫りにさせ、その歌詞が乗せられた澄んだメロディーは本来ならば悔い改める戒めとして残るはずの教訓を肯定として頷かせる響きを持たせてしまう。
 だからこそ、普通は歌われないし、それを歌の名前として挙げる者はそういない。物好きな教会の聖歌隊ぐらいであろう。

「場末の酒場で知り合った聖職者が歌っていたのでござるよ。意味なんて、浅薄な拙者ではとても」
「そう、酒場で……ね。ふふ、暗示はしているのですね」
「皆に暗い歌だと言われ、弦楽器を振り回されていたでござるが」
「そうですわね。少なくとも、お酒を飲みながら歌う歌ではありませんわ」

 マーガレッタは口元を赤い法衣の袖で隠して少しだけ笑うと、数小節を少しだけ口ずさんだ。
 ロイ・カ・オルフの聖典ではなく、その響きは少し聞いただけでさっきまで歌っていた歌の続きだと耳が教えてくれた。

「この歌は……ルゼル・イオ・リプカの嘆き。普通の人は知りませんわ。ロイ・カ・オルフの歌以上に暗い歌ですもの」
「暗い? あれほど綺麗だった律でござるのに?」
「……ふふ、神様というのは、どんなことでも綺麗なものにしてしまうのですわ」

 また小さく笑んだマーガレッタは、鈴のような歌声をまた少しだけ響かせて、くるりとエレメスの前で回る。溶けた蜂蜜のような色の髪を靡かせて食堂のほうへ歩き出しながら、言葉を続けた。

「だから、賛美歌というのはどれも綺麗にしか聴こえないのです。ロイ・カ・オルフの聖典も、ルゼル・イオ・リプカの嘆きも、そんな風にして生まれた歌ですわよ」
「姫は、その歌がお好きで?」

 かつん、とハイヒールの底が食堂の床を叩いた。
 首だけでエレメスを振り向いたマーガレッタは、流れる後ろ髪で少しだけ顔を隠し、

「……そうね、嫌いでは、ないですわね」

 何故か少しだけ悲しそうに、つぶやいた。
 それでこの話は終わり、と言わんばかりに、彼女は法衣と後髪を揺らしながら食堂の奥へと入っていく。それとほぼ同時刻でそよいでくる、暖かなコーンの香。僅かにクリームの香も混ざっている。その香に誘われて、エレメスの腹の虫が小さく「くぅ」と音を立てた。聴こえてなければいいが、とばつ悪そうに苦笑した後、ようやくエレメスはここへ何をしに来たか思い出す。
 時計を見上げる。味気ない木材で出来たシンプルな時計が指し示す時刻は、もうすぐ宵が始まろうかと言う時間。

「姫、今日の献立は何でござろう」

 エレメスの投げかけた声に、厨房の竈の前にいるマーガレッタはよく通る声で返答した。

「もう寒くなってきましたし、暖かいコーンスープとチーズフォンデュですわ」

 スープができるまでの暇つぶしで歌っていたのだろう。そのスープができたと言うことは、もう後幾ばくもしない間に夕餉の準備が整うに違いない。
 皆が出払っている間にサボるのも少しだけ悪くは思うものの、エレメスはその暖かいスープの香に浸された食堂のテーブルに、腰を下ろした。次に彼女の歌声が聞けるのはいつだろうと、少しばかり期待しながら。






 エレメスの、張りのある少し高めの声が、食堂に響く。音が無造作につながれたような旋律は、テンポと音程が崩れているにもかかわらず、何故かしっかりとした唄として他の三名へとしかと届いていた。その矛盾した事実が、更に奇妙な方向へ捻じ曲がって食堂に響き渡る。何とも奇妙でちぐはぐな、唄。
 流石のエレメスも何か違うと思ったのか、一度歌うのを止めて首を捻る。

「――――、ん、んん? スゥ、―――――。……こうでござったかな」
「……? エレメス、今の、何?」

 そんなエレメスを見ながら、カトリーヌ=ケイロンはぱちくりと目を瞬かせてワインを口に運んだ。
 夕餉は六人皆で迎え、若干お酒なども入って一時間ほどで終わりを告げた。今日の料理当番だったマーガレッタは食事が済むと同時に自室へ帰ってしまい、セシルも弓の調整があるといってマーガレッタの後に食堂を出て行ってしまった。
 ささやかな夕食のメニューはコーンスープとチーズフォンデュ。ワインを少しだけ空けていた他のメンバー四人は夕餉だけのお酒では少し足らなくて、後で軽く作ったおつまみをテーブルの上に乗せてちびちびと残ったワインを舐めている。流し台では、六人分の食器とチーズがこびりついた大きな鍋が冬の真水につけられたまま四人の宴会が終わるのを待っていた。

 三階部六人、二階部六名。合計十二人の共同生活。基本的に彼らの居住区は二階と三階に分かれ、三階には三階のルールがあり、二階には二階のルールがある。そのルールは生活行動に関わる様々なことで、暗黙の了解だったりちゃんとした名言で決められている。
 たとえば、二階部では料理はアルマイア=デュンゼに一任していて、お皿洗いは残った五名のローテーション、という風に。この三階では、日ごとに一人ずつ料理のローテーションがあり、また、お皿洗いは料理当番を除いた二名がやることになっている。誰がやるとは決まっておらず、基本的に最後まで食堂に残っていた人がやることになっており、大体いつも酒を飲み交わしているハワード=アルトアイゼン、セイレン=ウィンザーがやるハメになっているが。

「賛美歌の一つでござるよ。夕餉前に、姫と話していたらふと思い出して」

 問われたエレメスは、片眉をあげて少しおどけるようにカトリーヌへと答えた。
 ロイ・カ・オルフの聖典。テノールで歌うには高すぎて、バリトンあたりの声域で耳に馴染むその歌を、エレメスは酒場で聞いたのを思い出しながらリズムだけを形成する。ちぐはぐだった音程が、少しずつ形を成していく。少しずつあの時酒場で聞いた唄に戻っていく。記憶が音と共に戻っていく様は、少しだけ宵が回った脳みそに心地よい夢として流れて行った。
 最初の数小節だけは少し高く、後半に行くにつれ段々と低い音で形成されていく曲。
 隣できょとんとしながらワインを口に運ぶカトリーヌに、マーガレッタがやっていたようにラの一音だけで、覚えているまでをもう一度歌う。今度は自然に滑らかに音が空気を撫でていた。あの時聞いてあの時感じたロイ・カ・オルフの聖典が、時を経てこの生体研究所三階部の食堂に再現されていく。
 一区切りつくところまで歌ったエレメスに対し、カトリーヌは小首をかしげてエレメスを仰ぎ見た。そして小さく、呟く。

「少し……暗い?」
「カトリーヌ殿もそう感じるでござるか」
「微妙に聞き覚えのある音律だな……」

 ぶどう酒が入ったグラスをテーブルへと置きながら、セイレンは何かを思案するように視線を空へとさまよわせた。そんなセイレンの右隣では、エレメスの唄を子守唄にでもしてしまったのか豪快ないびきをあげて、ハワードが机に突っ伏してしまっている。そこまでお酒に強くないのだから、少しは加減して飲めばいいのに。思いをため息と表情に乗せ、食堂の奥の戸棚に積んでいる毛布を取りにカトリーヌは席を立った。表情に出た、といっても、もう数十年友好関係があるエレメスがやっと気づける程度、という些細なものだったけれど。
 そんな二人を微笑ましく目を細めて眺めていたエレメスは、未だに首をかしげて唸っているセイレンへと視線を向けた。

「賛美歌でござるから。きっと、騎士団の聖歌隊か何かが練習しているのを聞いたのでは?」
「いや、聖歌隊が歌う唄なら大体覚えている。いつだったか」

 この男のことだから、きっと律儀に聖歌隊のほうにも足を向けていたのだろう。定期公演などあったら、自分に関係あるなしに絶対に赴くタイプだ。そしてそのお供として、というか、てっきりデートと勘違いして浮かれて馳せ参じたイグニゼム=セニアをがっかりさせていたに違いない。セイレンの若かりし頃を想像してくつくつと笑う。

「……ぐ」

 が、しかし。
 突如感じた眩暈に笑みもすぐに引っ込んだ。エレメスに気づかずに考え込むセイレンをよそに、またくらりと視界が歪む。酔いが回り始めているのだろうか。

「ああ、そうだ。こうやって酒を飲みながら聞いたんだ」

 目頭に手を当てて、皆に気づかれないように何とか意識を正そうと、エレメスは深く息をついた。

「……歌い手の者、皆にグラスとか投げつられなかったでござるか?」
「グラスはなかったな。槍や両手剣が飛んでいたが」
「騎士と言うのは慎み深いものでござろうと思っていたのに!?」
「確かに訓練中や平常時はそうだ。だが、中身は普通の男ばかりだぞ。酔えば誰だって地が出る」
「だからといって武具は死ぬでござろうに」
「安心しろ。それで死ぬようなやわいやつは、俺の下にはいなかった」

 いや、それ威張るところ何か違うでござるよ。
 乾いた笑いにそんな突込みを載せて、エレメスはグラスを手に取った。

「唄の意味、何?」
「相すまぬ。拙者も知らないのでござるよ。拙者が聞いた由来も、セイレン殿と同じでござるから」

 背後から聞こえた問いかけに振り向けば、カトリーヌが戸棚から毛布を取り出して戻ってきていた。しかし、持ってきていたのは毛布だけではなくて、他にしっかりとクッキーが入った袋を携えている。まだつまみのアスパラ炒めなどがテーブルの上に乗っているのに、と苦笑するエレメスを余所に、カトリーヌはそ知らぬ顔でハワードの肩にそっと毛布をかけてあげた。
 そんな様子を眺めながら、エレメスはふと思いついたように席を立った。

「そうでござるな。どうせだから、姫に聞いてくるでござるよ」

 その言葉を聴き、セイレンは鈍い白鋼色の髪に隠れた両目を鋭く尖らせてエレメスを目だけで見つめた。

「……エレメス、別に誰が何をしようと強制的にとめることを俺はしない」
「何でござるか、藪から棒に」
「いいから黙って聞け。だからな、俺は別に同意の上では止めるつもりもないが――――」

 ピンときた。
 
「……セイレン殿、何を考えているでござるか?」
「いいから黙って聞け。だからな、俺は」
「カトリーヌ殿、セイレン殿も酔っ払いに追加お願いでござる」
「……ん、わかった」
「後は任せるでござる」
「ん、任された」
「いいから黙って――――」
「それではカトリーヌ殿、遅くならないうちに部屋に戻るでござるよ」
「ん」
「いいから―――」

 セイレンの声と、カトリーヌが何やら普段の数倍の速度で何かの詠唱を唱える呪文を聞き咎め、エレメスは席を立ち食堂の扉へと歩いていく。その足のスピードは心持速く。別に、後ろからひしひしと感じる魔力の波動が怖いからではない。決して違う。そうか、カトリーヌにこういうネタは厳禁なのか。よく心にとどめておこう。
 暖炉のおかげで暖かくなった空気が一瞬で凍りつくような音を扉越しに聞きとどめ、エレメスは苦笑して後ろ手で扉を閉めてマーガレッタの部屋へと足を向けた。
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by Akira_Ikuya | 2007-05-28 20:30 | 二次創作 | Comments(0)


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