ここ最近生体スレに投下した小説を編集編集。微妙にシーン追加しています。
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彼の者の姿は、とても歪で、とても凛然としていた。
両が手は、自らの存在を知らしめるかのような程に禍々しいフォルムで形成されたヴァリアスジュルで覆われ、首元と口を隠した赤錆色のスカーフは風など届くはずもない地下回廊の中で悠然と宙空を舐める。本来なら隠行を業とし、たとえ何かを間違えたとしてもその姿を曝したまま歩くはずもない戦闘装束で、その男は生体工学研究所三階部の床を硬質のブーツ音を響かせながら踏み鳴らしていた。
その姿は正に威風堂々。無造作に乱切りされた眩いほどの銀髪もまた、そんな彼の異質さを際立たせることに一役買っていた。
カツン、とひときわ音を響かせて、ブーツは床を叩くのを止めた。
両手をぶらりと下げたまま、ヴァリアスジュルを静かに握り締める。そのアサシンクロスの赤の双眸は、歩みを止めたその先にいる者をじぃっと感慨もなく睥睨していた。
「………これは、珍しい客人でござるな」
「…………」
視線の先にいた、まったく同じ格好をしたアサシンクロス―――エレメス=ガイルは、金双眸を僅かに揺らしながら侵入者である彼を見据え返した。微かな沈黙、そして、一瞬だけ現れた極少量の憂い。それら全てを押し込めて、エレメスは万感の想いを込めて、こちらを睥睨したまま動かないアサシンクロスに向けて言葉を続ける。
「如何してここに参られた。よもや観光などという趣味はござるまい」
「……」
反応は、無。
何も言葉を発さないまま、彼はエレメスを睥睨し続けていた。まるで何かを咎めるように、まるで何かを待つかのように。
エレメスは、再度言葉を放つ。
「……拙者に、用なのでござるな」
「……」
カツン、とブーツの音が響く。
目の前の暗殺者は、エレメスに向かい、一つ歩を刻んでいた。
「今更拙者への用は、もうないでござろう。名は棄てたでござるよ」
「―――ああ、そうだ。貴様は、棄てた」
名、という単語に片眉を上げて反応したアサシンクロスは、ようやく言葉を発した。何かを噛み締めるような声音でいいながら、ガツッ、と、ブーツの先端の凶器で床を穿つ。一度では飽き足らないのか、二度、三度とタイルが穿たれていく。破片がぱらぱらと散るその先の彼の双眸の色に気づいたエレメスは、半ば反射的に彼と同じヴァリアスジュルを両手に装着した。
「貴様は棄てた、エレメス=ガイル。何百何千という者がその名のために礎となり消えていきながら、貴様はそれをまるで塵屑のように、塵芥のように棄てたのだ」
常日頃から薄ら寒いこの生体研究所の空気が、更に皮膚を突き刺すかのように冷え返った。ぞっと背筋が粟立つのを脳髄が知覚する時間すら惜しく、エレメスはその場を咄嗟に後ろへと跳ね飛ぶ命令を自分の運動神経へと叩き込んだ。
その一瞬の後。今までエレメスが立っていたタイルに、両振りのカタールが自らの刃の半分ほどを埋めたまま鈍色に輝いていた。突きの動作のままこちらを見据えている――――いや、睨みつけているアサシンクロスは、ゆっくりとたった今突き刺したばかりのヴァリアスジュルを引き抜きながら更に言葉を続ける。
「だから、俺は拾いに来た。貴様が棄ててその後、誰も継がなかったその名を、貴様から剥奪するためにここへ来た」
目にも留まらないほどのスピードで踏み込んで見せたアサシンクロスは、戯曲の台本を読み上げるかのように大仰に告げた。しかし、それは決して巫戯けているわけではない。ましてや、エレメスを嘲ているわけでもない。
これは、彼なりの義の通し方だろう。姿を隠すこともなく、不意を撃つわけでもなく、ただエレメスの目の前に現れ、彼の元へと辿りつき、
「―――貴様を、殺しに来た」
何も恐れることなどせず、こうしてカタールを突きつけているのだから。
エレメスは無言のまま、ヴァリアスジュルのグリップを強く握り締める。自分が棄てた名、そして、誰も継がなかった、いや、誰も継げなかったのだろうその名を心中で一度深く反芻した。
エレメス、ガイル。暗殺者として誰よりも名高く、誰よりも誇り高く、そして、誰よりも冷酷な者にのみ与えられる、アサシンという世界において唯一の称号。
その名を、目の前のアサシンクロスはほしいという。
威風堂々とここへと乗り込み、姿を微塵も隠さず、ただ自分を殺して首を持ち帰るためだけにここへ来たのだという。
ちりちりと、彼の双眸に宿る狂気と殺気が空気を伝染してエレメスの皮膚へと突き刺さる。その歪さの、何と心地よいことか。うっかり微笑んでしまいそうになる自分の口元を隠しもせず、エレメスはもう一度反芻した。
エレメス=ガイル。この名に籠められた感情はそう易いものではない。
長い間の日和っていた日々のせいで、すっかりと忘れてしまっていたらしい。自分が身を浸していた真なる夜を。自分の名を棄て、この名を世襲することを命じられたあの時の瞬間を。あの時の、怨恨と畏怖と嫉妬に満ちた幾百幾千を越そうかというほどの羨望の眼差しを。
スカーフに覆われたエレメスの口元が、はっきりと笑みを描く。
「――――くっ、くくくっ」
「笑うか、エレメス=ガイル」
「笑うなという方が更に滑稽だ、小僧」
ヴァリアスジュルを引き抜いたまま等身を低くして構えていたアサシンクロスは、小僧呼ばわりされてその構えを更に低く捻じれたものにシフトした。彼我の距離はおよそ六歩。あれほどの速力を出せるこのアサシンクロスならば、エレメスが一呼吸する間に無へと還せる距離。
もはや彼の間合いといってもいい位置にいながら、エレメスは構えたヴァリアスジュルをだらりと両脇に下げつつ、彼以上の狂気と殺気を載せた金双眸で睥睨していた。
「俺の名はエレメス=ガイル。来るがいい、小僧。総てを賭して奪ってみろよ」
「一線を退いた身でほざくか、爺」
互いに芝居かかった所作で、しかしそれを欠片も頓着させないほどの濃い殺気が渦巻く中、両者はゆっくりと次の動作へと移ろうと重心をずらした。この生体工学研究所で数十年という月日をすごしたエレメスは彼を小僧と呼び、彼はまたエレメスのことを爺と呼ぶ。エレメスは彼の姿の向こうに、あるはずがないイフを見つけ、ヴァリアスジュルで顔を覆い隠した。
「――――五十二代目、エレメス=ガイル。参る」
「三番隊、無名。往く」
いつか、子を成して、孫を成して。
そして、その者が自分の名を奪いに来る、という、そんなあるはずがないイフを。
ヴァリアスジュルが、鋼の音を鳴り響かせて、交差した。