Story3 - Scene3

 ハワード編の下に前半部を埋めるのがバランス的にちょうどよかったんじゃないかと思う日々です。クイックリンクに乗せるぐらいには多分そんな感じにバランス変更するとは思います。今はこのまま。

 何ていうか、書きたかったことの半分も書き出せなかった感じが。うーん。
 何はともあれ、短編とは言いづらい量ですがとりあえず完成っす。追記へどうぞ。



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 ハワードの部屋を出た後、ふとそこでエレメスは立ち止まった。
 右手には銀色の匙が入った白色陶器の器が一つ。そして、脇には器を三つ載せてもまだ余裕がありそうな銀製の御盆。セイレンの部屋のほうを見ながら、厨房に戻るついでにセニアとセイレンの器も回収してしまおうかと足を向けた。

 けれど、二歩歩いてまた立ち止まる。
 ハワードが食べ終わったからと言って、あの二人が食べ終わっているとは限らない。そもそも、まだ病人の域にいるあの二人にハワード並のスピードを要求するのは無碍というものだろう。ああ、それに。そもそも。
 あの二人は、匙を手にとっているかどうかがまず問題だ。
 セニアがじっとセイレンの寝顔を見つめ、セイレンはどうしたものかと狸寝入りをし続けている。そんな光景がエレメスの脳裏に浮かび、あながち外れてないようなオーラがセイレンの部屋からうっすらともれているような気がしないでもない。触らぬ神になんとやら、人の邪魔をする者にはお馬さんが飛んでくる。

 まぁ、後で回収すればいいでござるか、と。エレメスはセイレンの部屋に向いたまま踵を返して厨房へと向かう。
 その途中でマーガレッタの部屋の前を通った。中の様子を伺おうとも思ったが、おそらくまだ食事中、最悪、体を清めてあげている最中かもしれない。扉につけられたドアノブに伸ばした左手を虚空で握り締め、エレメスは扉の前から離れた。
 あのお姫様が、自分の看病に来てくれた可愛い女の子をすぐさま返すわけがあるはずもなく、何だかんだと理由をつけてカトリーヌを引き止めているのだろう。だからこそ、エレメスはマーガレッタの看病を自推しては蹴飛ばされ、ソレに加えてセシルの看病を押し付けられたわけであり。

 そこまで考えて、エレメスは薄くため息をついた。
 セシルの看病を押し付けられた理由が、それだけだったら気が楽であったのに。右手に持った器を手の先でくるくると回す。匙がからんからんと、乾いた音を廊下へと響かせた。

 食堂の扉を開け、そのまままっすぐに厨房へと向かう。想像通り、そこにはまだカトリーヌの姿はなかった。空になった器も置かれていないということは、まだマーガレッタの部屋で引き止められているらしい。いくら健康体のカトリーヌとはいえ、その内マーガレッタに風邪を移されてしまわないかと少しだけ心配になる。彼女の食欲を有すれば、風邪を引いたところで数日で元気になりそうな気はするけども。
 それに。
 風邪を引いたら引いたで、今度はマーガレッタ辺りが看病にいきそうではある。ついでに、本当に無自覚なまま看病に行って、それでもって無自覚なまま手ぶらで帰ってきそうな自称ガチホモの男も一名いるが。

 流しに水を張り、器を浸す。食器棚の中に収められているはずのセシルの器を探すも、いつも置かれている所定の位置には見つからなかった。おや、と思って流しの水きり場を見るも、がらんとしたそこにはお皿の一つも残っていない。

「……あれ、何処でござったかな……っと、とと。そういえば」

 そういえば先ほど、カトリーヌがお粥を作っている間に水切りをして食器棚に収めたのは自分であった。けれど、記憶をたどってもセシルの器を洗った覚えはない。水きり場でもないし、流しの中には今入れたハワードの器しかない。

「ああ、こんなところに」

 ふと視線をめぐらせた先に、セシルの器があった。灯台下暗しというべきか、テーブルの上に置かれたままだったらしい。
 テーブルの上に置かれていた未使用の器を手に取った。冬の空気に長い間晒されていた陶器のそれは、エレメスの指先をツンと冷たく迎える。釜の上にかけられた土鍋も、すっかり冷たくなっていた。
 陶器と土鍋の感触が、まるで「早く自分のトコに来い」とせっついている誰かさんのように感じられて、エレメスはやれやれと苦笑しながら釜に火をつけた。

 土鍋の中では、よく煮込まれていた野菜や米が更に造詣を崩して煮込まれていく。煮崩れした米は、もはや雑炊というよりも本当にお粥と言ったほうが適切かもしれない。まだ病状が良くならないセシルには、確かにこれぐらい煮込んでおいたほうが食べやすいとは思うけれど、これでは余りにも味気ない気がする。ハワードも、もう少し濃い味の法がいいとは言っていたし。
 調味料を加えるも加えないも、とりあえず味を見ないことには結論は下せない。そういえば、調理段階から一度も味見をしていなかったエレメスは、匙で一掬い、煮込み途中の土鍋から雑炊を掬った。
 まだうっすらとした温もりしかない粥を口に含む。舌に感じた味に、エレメスは片眉を動かした。

「……ハワード殿、やはりまだ悪かったのでござるな」

 病人の味覚を信じた自分がバカだったというべきか。
 ハワードが濃い味付けを好むのは知っていたが、今一口口に含んだ限り、この味付けは病人に食べさせるにはぎりぎりの限度の濃さだ。これ以上味を濃くしようとして調味料を加えると、おそらく眠っている間に喉が乾いて何度も起きることになるだろう。それでも、ここまで味付けを濃くしてあげたのは、皆が快方に向かっているから少しでもアクセントを与えようと思ったカトリーヌの優しさか。
 一番病状が重いセシルに、これ以上の味付けはとてもじゃないが歓迎できなかった。むしろ、若干薄めてもいいぐらいだ。

 ぐつぐつと煮込まれていく粥を、エレメスはいつもの彼らしからぬぼーっとした表情で見つめていた。誰かといると、いつも破顔してへらへらと笑みを浮かべているエレメスだが、その実、一人だと虚ろな表情になりやすい。なりやすい、という表現は少しばかり間違えているかもしれない。厳密に言うには、戻る、が適切であった。

 ここに来るまで―――正確には連れてこられるまで、彼には表情という概念が欠落していた。自分の職は暗殺者。殺すためには正の感情など単なる足枷でなく、いくら冷徹に取り繕ったところで、取り繕うと思うことそれ自体が既に不完全と言えた。だから、欠落していた。初めから持たなかった。
 義賊などと自分を称し、依頼された仕事を完遂し誇らしげに笑う同僚もいた。人を殺す生活に疲れ、ギルドから離反し懺悔の貌を浮かべながら聖職者への道へと進む者もいた。また、離反する際にそれを禁じられ、そのまま連れ戻される者、連れ戻されるどころか、その道中で殺される者もいた。そのどちらの顔も、呪詛のように歪んだ表情だった。
 彼はそれにさえ、無関心だった。たとえどんな詭弁を図ろうが、その後どれだけ人を救おうが、生きようが、死のうが、人殺しは人殺しだったのだから。

 ここに収容され、生活するようになって。首輪でつながれている根っこの部分は以前と同じであるが、それでも、今自分がいる環境はあまりに昔と違いすぎた。ギルドで気心知れた友人もいた。抱いた女もいた。酒を酌み交わしたヤツもいた。心の奥底で何かを抱えたまま殺した相手もいた。
 けれど、ここで出会った彼らは、それらの人々と同一に括るには少しばかり無理があった。似て、非なる存在。
 だから、彼は笑みを作った。ここに住まう、大好きな人らまで辛気臭い顔にしたくなくて、彼は笑みを浮かべ、へらへらと笑って殴られる日々を選んだ。
 けれど、そんな自分が、心の底から変われたとは未だに自分でも思っていない。生活と同じだ。昔はギルドという首輪で繋がれ、そして今は、研究施設という首輪で繋がれている。異なったようで、全く同質の根っこ。自分の深層も、昔と全然変わっていない。

 まるで、冷え切った陶器の器のように。

「―――と」

 看病も数えて早六日目。そろそろこちらも疲れが出始めているのだろうか。土鍋を火にかけてから、何故かすっぱりと記憶が抜けている。記憶がない、といっても、とりわけ何かした覚えもないのだから、ただぼーっとしていたというだけであろうけれど。粥が沸騰し始めた音に気づいて、エレメスはようやく釜の火を止めた。
 疲れているだけのか、それとも、風邪を少しだけ貰ってしまったのか。カトリーヌ殿の心配をしてる場合ではないでござるなぁ、などと嘯きながら、エレメスはお玉を使い粥を器へとよそっていく。もう卵も野菜も米も一色沙汰にとろとろと溶けてしまっていたそれは、まさに粥というに相応しかった。

 器に入れるたびに、湯気が上がる。
 器が、じんとした温もりを取り戻し始めた。

 回収するときは重ねて持って帰ればいいかと、エレメスはお盆はテーブルの横に立てかけたままその器と匙だけを持って厨房を後にして、セシルの部屋へと向かった。
 いつまで待たせんのよ!と、自分を叱り付けてくるだろう少女のことに、少しだけ苦笑いを浮かべて。





 ――――コンコン


「……おや?」

 意外なことに、ノックをしても反応はなかった。てっきり、昼餉の時間を当に過ぎてしまったからお腹を空かせていきり立っているとばかり思っていたが。
 器を抱えたまま、もう一度ノックをしてみる。しかし、返ってくるのは廊下にシンとたまった冷たい空気の沈黙のみで、ドアノブを握ってみるも、鍵はかかっておらず簡単に捻られた。

「入るでござるよ」

 一応一言断りを入れてドアを開く。木目調の家具が多い中で、しかし彼女らしく所々に白や桃色で彩られたカバーなどがかけれた家具が置かれたに彼女の姿はなかった。部屋の中央に置かれたテーブルにも何かが散らかっている様子もなく、視線を巡らすと、その右隅に置かれているベッドが、こんもりと膨らんでいた。ベッドの上には、彼女が部屋着として用意していたのか薄桃色のカーディガンがシーツの上にかけられていた。
 来るのが遅いと怒っているどころか、どうやらまだ起きてすらいないらしい。そんなに急いでくる必要もなかったでござるな、と、エレメスは一旦器をテーブルクロスがかかったテーブルの上に置き、セシルのベッドへと近づいた。

「―――すぅー……くぅー……」
「なんと、まぁ。気持ちよさそうに眠って」

 彼女の寝顔を見るのは決して初めてというわけではないが、エレメスは少しだけ気恥ずかしくなる。
 緑色のシーツに包まって、彼女は蜂蜜色の髪を枕へと沈めていた。斜めを向いているその寝顔は、ベッド脇から見下ろしたエレメスの視線とちょうど正面からぶつかる。ほつれた髪や、少しばかりやつれている頬が彼女がまだ本調子でないことを示していたが、目を伏せて穏やかな寝息を立てているその表情からは、どうやら病状の峠を越したことが見て取れた。ほっと、一つ、安堵の息をつく。
 ベッド脇に屈み、さらりとした彼女の前髪を掻き上げて彼女の額に手を押し当てた。掌に伝わるぬくもりはじんわりとした穏やかなもので、病状三日目に達した最高体温よりは比べるまでもないほどだ。一緒に持ってきていたタオルで彼女の首筋を拭ってやり、エレメスは手持ち無沙汰に、首をひねってテーブルに置いてある器を見つめた。

「さて、どうするでござるかなぁ」

 言葉に呟いておいて、エレメスは薄くため息をついた。どうしなければいけないかなどという答えは、実のところ、既にエレメスの胸中には明確な答えとして浮かんでいる。このまま寝かせておいてもいいが、器だけ置いて帰ると回復したセシルがどのような暴挙に出るかなど火を見るより明らかだ。まず間違いなく矢アサにはされる。その後のことは考えないほうが精神衛生上いいのかもしれない。
 その理由はいくつか考えられる。まず、置いて帰ったことにより、煮詰めた粥が冷めてしまってとても食べれるようなものではないものに激変してしまうこと。ある程度形をとどめた雑炊などは冷めてもまだ何とか食べられる味であるが、粥ほど形を崩してしまったものは冷めてしまうと飲み込むのも拒否してしまうほどだ。カトリーヌの味付けが際立っていようが何だろうがそんなことは些細な顛末に変わる。そんなものを置いてあったら、さしものセシルでなくとも気分を害すだろう。
 そして、もう一つは――――

「セシル殿、起きるでござるよ」

 セシルの肩を揺する。できるだけ強くならないように、けれど、しっかりと振動が伝わるように。
 肩を揺らすたび、セシルの形の整った眉は八の字を描くように顰められ、薄く開かれていた唇が少しだけ開いた。

「……んー、あと……五分……」
「いや、起床の時間ではないでござるが……ああ、いや、起床といえば起床でござるな、うん」
「すぅー……」
「って、だから起きるでござるよ!」

 思わず寝言に真顔で返答したエレメスは、更にシーツに包まろうとするセシルの肩を少し強い力で揺らした。
 しかし、その力を込めれば込めるほど、セシルは嫌がるように更に更にシーツの中に丸まっていこうとする。その様は、セシルを中心とした貝のようでもあるし、景観も何もかもぶっ壊す言い方をすれば蓑虫そのもの。

「うぅ……」
「せっかくの粥が冷めるゆえ、はーやーくーおーきーるーでーごーざーるーよー!」

 こうなるとこちらも意地が張るというものであって。
 セシルの両肩をがくがくと揺らしながら、エレメスはセシルの耳元で大声を張り上げた。彼女の蜂蜜色の髪が縦に横にと振り乱され、彼女の頤が面白いぐらいにがっくんがっくん振り回されている。
 流石にこれには参ったのか、セシルの呻き声が呟き声に変わった。

「……う」
「う?」

 セシルが声を漏らしたのを聞きとめて、エレメスは揺さぶるのをやめて耳を近づける。
 その刹那。

「うるさーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいっ!」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!?」

 鼓膜が破れるかと一瞬本気で思った。
 脳髄の奥まで駆け抜けるキーンとした音の余韻に思考がくらくらと明滅する。耳の真横であんな大声を出されたのだ、正直たまったもんじゃない。自分がやったことも確かにやりすぎたかもしれないが、それをおいてしても普通ならもんどり打って倒れてもおかしくはないぞ。
 たまらずその場にしゃがみこんだエレメスをよそに、セシルははれぼったい瞳をこすりながらむくりとベッドの上でようやく上体を起こした。
 茶の寝巻き姿のまま、その場で大きく「んーっ」と伸びをして、ベッド脇で蹲ってるエレメスを見やる。

「何してんの、あんた」
「っ、ぁ……や、やっと耳が普通に聞こえてきたでござるよ……」
「それに何よ、もう……気分悪いのにあんなに揺らして」
「いや、真に気分悪い人はあんなことしないと思うのでござるが」

 まだぐわんぐわんと揺れる脳みそを何とか宥め透かし、エレメスはベッドの淵に手を置いて立ち上がった。耳には平衡感覚を司る三半規管などがあるので、普通の人ならまともに立つこともできない。いくら訓練をつんでるエレメスとはいえ、何かにつかまっていないとすぐにへたり込みそうになっていた。
 それを見て、セシルは面白くなさそうに、ふい、とそっぽを向く。髪の毛がエレメスの鼻頭を軽くなぞった。
 そして、ぽつりと言葉を漏らした。

「軟弱者」
「言うに事欠いてそれでござるか、そんなことを言うのはこの口でござるか」
「ふぁにふんのよー」

 笑顔で額に青筋を立てながら、エレメスはセシルの右頬を引っ張る。セシルは一応拒絶の言葉を口にするも、流石に今のはやりすぎたのかといつも以上に怒りはしなかった。ただ成すがまま、右頬を引っ張られている。
 やけに素直でござるな、と思いながらエレメスは右頬を離すと、セシルは少しだけ赤くなった頬を押さえながらこちらを睨みつけてきた。ただ、いつもの迫力はなく、何だか拗ねているように見えなくともない。

 疲れた脳みそでは、その視線の意味を理解したくはなかった。
 少しだけ息を吐き、エレメスはテーブルに置いてあった器を手に取る。 

「はぁ……さておき。お粥があるので食べるといいでござるよ。お腹もすいてるでござろう」
「ん、わかった」
「それじゃ、拙者はいくでござるよ」
「え?」

 セシルへと器を手渡し、ガーディガンをセシルの肩にかけてあげたエレメスは、それだけ言うと部屋から出て行こうと立ち上がった。対し、器を受け取ったセシルはその体勢のまま、呆けた表情でエレメスを見上げる。

「え、ではござるまい。もうこれだけ元気なれば、拙者の看病もいらないでござろう?」
「あ、う……ん」
「後で薬をもってくるでござるゆえ、それまでに食べて置いてくだされ」

 セシルの返事を聞かずに、セシルの顔を見ずに、エレメスは踵を返して部屋の出口へと向かう。セシルの顔の前を、エレメスの長い赤錆色のスカーフが横切った。

 だから、引っ張った。

「ぐぇ」
「あ、ご、ごめん。強かった?」

 キュッ、といい感じに締め付けてしまったような声がエレメスの口から漏れて、エレメスの頤が天井を向く。セシルは言葉では謝りつつも、くい、くい、と、引き寄せるようにスカーフを引っ張った。
 スカーフに手繰り寄せられて、エレメスは諦め顔でベッド脇へと戻る。

「けほっ……まったく、何でござるか」
「あんた、ここに何しに来たのよ」
「だからセシル殿の看病に」
「看病に来たのなら、看病していきなさいよ」
「いや、セシル殿。そもそも看病というのは病人にするものでござってな。セシル殿みたいに元気が有り余ってる人にするようなものではないでござ―――」
「何よ、してくれないの?」

 きっ、と上目で睨んでくるセシルを見て、エレメスはもう色々と諦めた。出来るだけ今までの自分でいたかったというのに。あれやこれや、疲労が蓄積したせいで頭が弱っているのだと思い込んでいたかったというのに。
 さっき、厨房でぼうと鍋を煮込んでいたとき考えていたことを思い出す。自分はきっと、変わっていないだろう。変わらないだろう。こんな視線を当てられて、その意味を知りながら部屋を去ろうとしたのだから。

「まったく、仕方ないでござるなぁ」

 エレメスは、笑った。
 苦笑のような、泣きかけたような、そんな笑顔で、笑った。

「エ、エレメス……?」
「ほら、器を貸すでござるよ」

 初めて見るエレメスの笑顔、、に、セシルは戸惑いの面持ちで彼の名前を呼んだ。エレメスはそんな言葉の揺らぎをまったく気にも留めずにベッドの淵に腰を下ろす。そして振り向くようにして器を受け取り、匙で一口分、掬った。

「はい、お食べくだされ」
「……ん」

 差し出された匙を、セシルは少しだけ身を乗り出して口に含んだ。米も卵も野菜も、何もかも一緒に煮込まれた醤油ベースのお粥。ハワードだけ鶏肉が入っていた、カトリーヌお手製の病人食。
 ほとんど噛む必要もないというのに、もごもごと咀嚼するセシルを見ながら、エレメスは頬を綻ばせた。

 手持ちの器からまた一口掬い、セシルの口元へと運ぶ。
 セシルは、何の抵抗も見せずに双眸を薄く閉じて、匙を噛んだ。

 自分たちは、雑炊粥のような存在だ。絶対に出られない鍋に入れられて、戦闘も生活も恋愛も日常も、何かも一色沙汰に煮込まれる。最初の内はまだ区別もついた。多くの冒険者がこの閉鎖した研究所へと資料を求めてやってきた、戦闘に明け暮れたあの日々。ささくれ立った神経だった。戦闘以外のことは何もない日常だった。
 そしてそんな人手も途絶え、穏やかな日々が続いた。そんな日々が続いてしまった。長い長い時間の間に、仲間だったメンバーが、無自覚であったり、自覚があったりしながら、様々な感情を見せ始めた。

 たとえば、セニアとセイレンのように互いに自覚があるまま、愛とは呼べない一方通行であったり。
 たとえば、ハワードとカトリーヌのように互いに無自覚なまま、恋とすら呼べない双思念だったり。

「おいしいでござるか?」
「ちょっと冷めてる」
「セシル殿が起きなかったのが、悪いでござるよ」
「何よ」

 たとえば、セシルが自分に向けるような。そんな感情であったり。

 それも、次第に煮込まれていくだろう。何もかもが全て、一つに混ざり合っていく。時間とは、そういうものだ。
 そして混ざり合った時間が、自分たちに注がれていく。まるで小分けされた器のように。ただ日々の時間に埋没し、人を殺し続けていたあのときの自分のように。

 けれどそれも、同一のものであるとは限らない。
 セニアとセイレンへと注がれた雑炊粥の量が違ったように。ハワードの雑炊粥にだけ鶏肉が入っていたように。

「エレメスが、ちゃんと起こしてくれなかったのが悪いんじゃない」

 頬を朱に染めたセシルを見ながら、エレメスは笑みを零す。
 セイレンやセニアが羨ましく思う。ハワードやカトリーヌが眩しく思う。けれど同時に、ひょっとすると彼らもこのことに怯えているのではないかとも、思う。誰もがこの先の長い時間に怯え、毎日を必死に生きているのではないか、とも、思うのだ。
 長い間、闇に身を浸せていたのは自分だけではない。そんなことは当にわかっていたことであるのに。

「じゃあ、どうやって起こせばよかったのでござるか」
「そ、それは……」

 だから、自分はそんなセシルに負けた。のらりくらりと逃げ続けてきたつもりではあったけれど、そろそろ年貢の納め時のようだ。こんな自分の茶番に付き合ってくれたマーガレッタに申し訳ないが、相手がコレでは勝ち目もない。
 まさか病人相手に負けるとは思ってもいなかった。いや、相手が病気だからこそ、か。

「か、風邪引いてるんだから、もうちょっと優しくしなさいって言ってるの!」
「ほら、暴れているとまた熱が上がるでござるよ」
「あむっ!? ん、く……もぅ」

 口に突っ込まれた匙をがじがじと噛み付きながら、セシルは目の前で笑うエレメスを睨み付けた。その蒼の瞳の強さは、風邪を引いて弱る前のセシルそのものだ。きっと明日ぐらいからは、もうセシルの本音は聞けなくなるだろう。今日を逃すと、当分は聞けないはずだ。

 自分を打ち負かしたセシルのあの視線の本音を、聞きだしてみようか。

 中身が綺麗になくなった陶器の器に匙がカランと音を立てて納まり、エレメスはセシルのほうを向いて―――

「なぁ、セシル殿」
「何よ?」

 そっと、柔らかい笑みを、浮かべた。

End

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by Akira_Ikuya | 2006-12-05 15:44 | 二次創作 | Comments(0)


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