生体萌えスレに投下したエピローグの後編です。これにて本編は最後。あとは番外編やら裏話を残すのみ……どーするかな、投下すべきかしないべきか。
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血の海と言うに相応しい現場だった。ただその中で、朱色をばら撒いてなお、茶の色を残す髪を振りまく少女が一人、立ち尽くしている。その瞳に理性の色はなく、サファイアブルーがブラッディレッドに染まり。
ぎしり、と歯軋りを鳴らした。既に四人は亡骸となっている。共に百数十年を過ごした、仲間。
仲間以上、仲間以下でもないけれど。けれど、彼にとっては初めて出来た、大切だった四人。
男色なのか、ことあるごとに自分に襲い掛かる筋肉質だった、胸がすくような気のいい青年。
生真面目で、けれど自身の妹とインプットされた少女を溺愛し続けた人想いの青年。
姫気質か、軽やかに我侭を言いながらけれど誰も不快にさせなかった優しい女性。
寡黙で、けれど皆の均衡を巧くとり続けてきた誰よりも優しかった女性。
そして――――。
誰よりも口煩くて、何故か自分に突っかかってきて、何故か一緒にいると何かしてあげたくなる少女。
大切だった、一人。
今、自分に弓を向けている。矢先を自分に向け、弦を絞っている。
自分を射抜かんと、プログラムされた通りに果たそうとしている、少女がいる。
ただ、最初は尊厳と自由を奪われたことに、自分の唯一残された自我を奪われたことに殺意を感じた。
けれど、その殺意も、怒りも、彼らに触れ合うにつれて少しずつ溶けていった。癒されていった。
そよ風にすら吹かれて消えてしまいそうな魂で。
やっと、人と同じような幸せを手に入れたと、思えたのに。
奥歯を噛み砕こうかというほど、強く、歯軋りをした。
何故、戦わなければいけない。何故、刃を向けなければいけない。何故、こんな役目を押しつけられる。
握り締めた掌に爪が食い込んで血が流れる。目の前にいる少女を、見つめた。
赤い瞳から流れ出た涙は、果たして何を意図しているのだろう。
名を奪われ、外部入力によって名前を決められたセシル=ディモンと呼ばれる少女は、大切な仲間に向けて。
少女は彼に向けて、矢を放った。
処刑される者は、処刑する者には決して敵わない。何故なら、そういう前提なのだから。
彼は、その血の泉の中で立ち尽くした。その胸の中に、目を閉じた少女を抱きかかえて。
外部プログラムの強制入力。それによりモジュールを強制停止させ、少女のスタンピートを食い止めた。元々これは、少女たち検体五名がいずかれのプログラムエラーを発した場合の強制停止モジュールであったが、存外に、このスタンピートにも効力を発揮した。けれど、少女―――セシルの瞳は、未だに赤を宿したままだった。
腕の中で気を失っている少女を抱きかかえ、彼は、脳が煮えきれるほどの怒りを胸に秘める。
殺してやる。所長だけではない。研究に携わったもの、全てを殺してやる。
手にはめたカタールを握り締める。ナックルガードが彼の拳を傷つけるけれど、そんなこと、関係はなかった。
セシルを腕の中に抱いたまま、廊下を歩く。夕焼けが彩ったその廊下は、まるで、血塗れた黄昏
のようだった。
「……ぅ」
「目、覚めたか」
腕の中でセシルが僅かに呻いた。カツン、とブーツを鳴らして彼はその場に止まる。
「……なんで、こんなところに」
「…………。気にするな、もう一度眠っていろ」
プロテクトは、既に外されたはずだ。
記憶も、何もかもを、思い出しているはずだ。
だから、彼はセシルに、ただ眠っていろと告げた。何も考えるなと、告げた。
「ダメよ。もう、持たないから」
「……?」
セシルの赤い瞳は、蒼を写していた。
夕日を受けて朱に染まるも、ただ、蒼を写して彼を見上げる。
凪を写したようなその瞳を見て、彼は――――エレメス=ガイルは、一つのことを悟った。
「ね、エレメス――――殺して?」
自分の破壊プログラムは、もう抑制すら果たせていないことを。
「あたし、皆を殺しちゃった。殺しちゃったんだね」
「それは……違う、アレは、俺が」
「……嘘、下手ね。あんた。このままじゃ、あんたまで殺しちゃうよ」
腕の中の小柄な少女は、自分を包む矮躯な青年に向けて言葉を続ける。
「あーあ……あたしの人生って、何だったのかな。ずっと、セシル=ディモンだと思ってたのに。気づけばここにいたと、思ってたのに」
プログラムの自壊が始まっているのに、セシルは彼の胸の中で安心しきった声音で言葉を続ける。
とんっ、と、彼の胸がセシルの細い両腕に突かれた。思わずよろけるエレメスを尻目に、セシルは彼の腕から降りて橙に染まった廊下へとステップを刻む。
廊下で、くるっと、ターンを刻むように彼のほうを振り向いた。それはどうしようもなく演技がかった仕草で、おそらくそれは、どうしようもないほどの、彼女なりの強がりだった。
「どうしようもない人生だったけどさ。それでも、あたしは楽しかった。幸せだった。楽しかった、のに」
強がりを証明するかのように、凪のように静かだった彼女の面持ちが、くしゃ、と歪んだ。
夕日に照らされた少女の瞳は、もう、それが青か赤かすら、わからない。
「人と同じような幸せを望んだのが、そんなに、いけなかったことかな。それすらも、許されなかったのかな」
双眸から、涙がこぼれだす。
夕日に照り返されるその雫に、その純粋な言葉に、彼は動けない。
「……それでも、あんたまでは、殺したくないな」
涙を流しながら、苦笑した少女。
「全部、知ってたんでしょ? 頭の中に流れてきたから。あんたなら、あたしを殺せるんだよね?」
「……」
「あたしを殺せば、また、日常が戻るよ。オールクリアされるみたい。皆と過ごした日が、楽しかった」
だから、と、彼女の薄いルージュが引かれた唇が動いた。
「……一人にさせて、ごめんね」
彼は、もうためらわなかった。一歩で、彼女の目に立つ。
そして、短剣を――――――心臓に、ねじ込んだ。
「……すまない」
「ばか……謝るの、は、あたしのほうなのに」
こふ、と、前かがみになって彼女を貫いた彼の鋼色の髪に血がこぼれる。
彼は、その体制のまま動けなかった。
少女は、そんな彼を、残った力で抱きしめる。
まるで、幼子を母親があやすように。
「ね、エレメス……生きて。生きてね。あたしはあんたを忘れてしまうけど」
命の灯火が消えかかっているはずなのに、セシルは言葉を紡ぐ。
無理に微笑みながら、その瞳を無理に青に戻して。
「いつか……いつか、このシステムを、壊して。皆を閉じ込めた、このシステムを……壊して。あたしたちを、守って」
「……ああ、約束する。絶対、お前を守るから」
髪に、血ではない透明な雫もこぼれ始めた。
エレメスは顔を上げる。目の前には、自分を抱きしめている、セシルの泣き顔。
「たとえ何度、セシルを殺しても。たとえ何度、皆を血祭りに上げても」
エレメスは、セシルの小指をとった。それに、自分の指を絡ませる。
「必ず、いつか、皆を、救い出してやる。約束だ」
「次のあたしが、あんたを助けてあげるから」
抱きしめるセシルの力が弱まるのがわかる。
それでも、セシルは必死に小指に力を込めた。
「それでもダメなら、次のあたしが……それでもダメだったら、次の次のあたしが、ずっとあんたを助けるから」
エレメスの視界がぼやける。
暗殺者という身に成り下がって十年。非情の心を手に入れて情をなくし、ただ、自分を守るためのプライドだけを引きずって。
「あたしが、ずっと傍にいるから」
そして、ユダという監視役になって、百年近く。長い長い、孤独の日々。
けれど、その孤独の中ででも掴むものはあった。手に入れたものがあった。
自分を守るだけの、そんなちゃちなプライドよりも、大切なものを手に入れたのに。
「……ねぇ、笑ってよ」
「……何、を」
「あたし、まだ、あんたの笑った顔見たことないんだ。最後ぐらい……笑ってよ」
人と同じような幸せをつかめたと思ったのに。
エレメスは、必死に笑おうとした。
「……ぷっ、変な顔……あーあ、あんたのそのしけた顔も見納めか」
ふっ、と、セシルの体から力が抜けた。エレメスは唇の端をかみ締める。
心臓を錐で一突き。普通の人間相手ならば確かにすぐさま息を引き取らせただろう。けれど、あんな短剣一つで、そもそもこのセシルたちを殺せるはずがないのだ。刺突による激痛を与えられても、それだけで死に致せることなんて出来はしない。
短剣に仕組まれた、外部コード。彼女たちを殺す、唯一の手段。
全てのプログラムが壊されていく中、少女の意識は少しずつ消えていく。
「でもさ……あんたの笑ってる顔、嫌いじゃないかな。ずっと、笑っててよ」
「……ああ、約束する。そんなことで、いいなら」
エレメスは、彼女を再び抱きかかえながら頷いた。
腕の中で、唇の端から血をこぼした少女は、満足げにその双眸を閉じる。目の端に、涙の名残を滲ませて。
夕日に照らされた彼女は、ただ、美しかった。
「ね、約束……次のあたしを、よろしくね」
そう言って、彼女は、二度と目を開かなかった。
エレメスの慟哭が、廊下を貫いた。
彼女の亡骸は、せめて外に埋めようと思った。
抱きかかえたまま、二階へ降り、一階を過ぎ、けれど。
――――警告。外部への脱走は認められていません。
―――――五秒以内に敷地に戻りなさい。さもなくば、自壊プログラムが起動します。
脳内に走る、システムメッセージ。かまうものか、と、足を一歩踏み出そうとした。
けれど、少女の言葉が、彼の脳裏を叩く。
―――いつか、このシステムを、壊して。皆を閉じ込めた、このシステムを……壊して
自分は、生きなければいけない。何をしてでも、どうなってでも。
このシステムを壊すあてが見つかるまでは――――たとえ、仲間を殺してでも、生き続けなければいけない。
たとえ、守るべき皆を殺してでも、生き続けなければいけない。
彼は踵を返した。少女の亡骸は、自室へと運ぼう。
そして――――皆殺しに、しよう。
ああ、そうだ。自分はもう、人ではない。
エレメス=ガイルではない。ただの、悪魔となろう。ただ、このときだけは。この一夜だけは。
窓辺を月明かりがさす。彼の瞳に似た、金色の輝きが。
その金色は、百人を超す赤い血で、朱を照り返すこととなった。
目覚めると、自室だった。
廊下に出る。惨状はまるで嘘だったかのように白紙に戻され、廊下はリムーバたちの手によっていつもの色を取り戻していた。
自分の手を、開いて、握る。違和感などない。幾十、幾百の銃弾に体を穴だらけにされて、なお殺し続けたというのに。体には傷どころか引きつる痛みさえもない。
全ては夢だったのか、とすら思う。
だって、その手の感覚を確かめてる彼に。
「エレメス、朝っぱらから何してるのよ、こんなところで」
投げかけてくる、声。
その声に背中が震えた。以前なら喧しく聞こえた声が耳朶を打つだけで、涙が出そうになる。
それをこらえて、振り返った。
「――――セシ、ル」
「……? 何変な顔してんのよ。調子でも悪いの?」
「―――っ」
覗き込まれる蒼い瞳に、エレメスは言葉と共に感情を飲み込んだ。
――――ね、エレメス……生きて。生きてね。あたしはあんたを忘れてしまうけど
残酷すぎる言葉。けれど、果たさなければいけない約束。
悟られてはいけない。何か一つでも悟られてしまえば、きっと、プロテクトが外れてしまうだろう。
プロテクトが外れてしまえば、向かう先はスタンピートだ。そうなってしまえば、仲間の一人が、他の皆を殺してしまわなければいけなくなる。そしてその一人を、自分が殺さなくてはいけなくなる。
殺したくなんて、ない。だから、騙そう。道化になろう。いつかこのシステムを崩す方法が見つかるまで、道化であり続けよう。
約束を果たす、そのときまで。
だから。
今となっては、遠い声が、耳朶を打った。
――――そうだ、あんたござる言いなさい、ござる。忍者っぽいし。ほら、アマツで人気のあの大道芸
「―――――――。やれやれ、いきなり何を言い出すでござるか、セシル殿は」
「何よ、人がせっかく心配してあげてんのに。そんなこというんだ? ふーん?」
きっ、と睨んでくるセシルに、彼はへらへらと笑みを作った。
今まで浮かべたことなどなかった笑み。セシルが目を閉じるとき、必死になって浮かべた笑み。
彼女は、この笑みを好きだといってくれたから。だから、浮かべ続けよう。
いつか、約束が果たせるときがくるまで。
何度繰り返してでも、その約束を果たすまで。
彼はただ、終わらないプレリュードの中で、走り続ける。
それが最後のプレリュードであることを、ただ願い続けて。