Epilogue1

 生体萌えスレに投下したエピローグの前編です。もうちょっとお付き合いくださいませ。



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 カラン、と、音を立てて握力の消えた右手から錐が転げ落ちた。
 エレメス=ガイルと呼ばれる固体名を持つ青年は、茫洋とした心でその音を聞き届け、壁へと背中を預けた。彼の胸の中では、まだ温かさを残すセシル=ディモンと呼ばれていた少女の亡骸が静かに目を閉じていた。

 エレメス=ガイルも、また、目を閉じた。
 次目覚めるときは、今度こそこの糞つまらないシステムを打ち砕けるようになっていればいいと、願いを込めて。




 首に当たる鋼は冷たくもなければ、鋭くもなかった。もうちょっとまともに研げばいいものをと思わなくもないが、そんなことになってしまえば首の後ろでバツを描くように自分の首にかけられたそのハルバードが即座に自分の首を切り落とすだろうと考え、彼はやれやれとため息をつく。
 自分の手は後ろで回され手錠をかけられ、上半身は脱がされて既にいくらか打撃をもらっていた。拷問するならするでもう少し巧くやれといいたいところだが、そうなると先ほど考えた状況と同じことになりかねないので閉口する。

 兵に捕まり、拷問を受け、こうして首にハルバードをかけられているというのに、この研究所に忍び入った彼の心は凪のように静まり返っていた。
 むしろ、彼の首にハルバードをあてがっている兵士たちのほうが僅かに動揺しているように見える。所詮は金で雇われた警備団体といったところだ。へまをしたとはいえ、そんな集団にさえ捕まってしまうとは自分もヤキが回ったのかもしれない。

 しかし、処刑所にしてはここは異質すぎた。
 自分が座らせられている下には赤い絨毯が敷かれ、ぱっと見、血の色をごまかすためにやむなく赤色を敷いたと言えるほどこの絨毯は安くはない。膝をついてる絨毯は、こちらを弾き返すかのように弾力があり、これを処刑所に使うとなればおそらくこの研究所の所長の部屋は黄金か何かで出来ているんだろう。
 彼はこの部屋に違和感を覚えつつ、そして、その違和感の元凶がやってきた。

「……ちっ、くだらない。こういうことか」
「くだらない、とは言ってくれる。よくもまぁ、こんな時期に入ってきてくれたものだね」

 白衣をだらしなく着こなし、顎に生えた髭はとても手入れをしているようには見えない。けれど、その瞳は絶えることない好奇心が常に輝き続け、まるで瞳だけが意思を持つみたいにぎらぎらと輝いていて見るものに嫌悪感を抱かせる。
 拘束された彼の前に現れた男、それは、このレッケンベル本社地下に秘匿された生体研究所の研究所長であった。

「で? 殺すなら早くしろ」

 その所長を見据え、賊である彼は吐き捨てた。

「くくく。死に急ぐか」
「アサシンに向かってそれを言うか。恥はいらん、斬れ」

 そんな彼が面白いのか、くつくつと笑う研究所長。彼の苛立ちは増していく。
 首元を押さえつけられたまま、彼は所長に噛み入るように睨み付けた。

「若造、一つ取引と行こうじゃないか」
「何だと……?」
「取引というよりは、これは一方的なチャンスだ。所詮お前も金で雇われたクチだろう。命が惜しいんじゃないか?」
「何を言い出すかと思えば……生き恥を晒させるつもりか」

 アサシンギルド、と呼ばれる集団がある。元は武闘派の荒くれ者の集団であったが、時の変遷と共に金で雇われる暗殺者の集まりとなったギルド。金で雇われることから、彼らを富豪の犬と揶揄する者も少なくないが、しかし、彼らは孤高を美とし、恥を死とする傾向が強い。
 今捕まって拘束されている彼は、その典型ともいえる人間であった。

「くくく。晒させる、ね。晒せる相手もいないがな」
「……どういう意味だ?」
「ここがどういう施設なのか、知らずに突っ込んできたわけでもなかろう?」

 研究所長の目が、卑しく光る。
 生体研究所。それは、バイオ化学の名声と共に、後ろ暗い噂をあたりに響かせていた。
 曰く、貧民街から人を攫い人体実験に使用している。曰く、各街から武や魔に優れたものを拉致し、それをベースに何かの実験を行っている。
 そこまで思い至り、彼はぞっと背筋に何かが走るのを感じた。

「……まさ、か。俺を?」
「何だ、てっきり金に目が眩んだ浅ましい犬かと思っていたら。存外に賢いじゃないか」

 大口を開けて自分を見ながら笑う所長を見ながら、彼はまるで人外のものを見るかのような目つきで所長を見つめた。
 そして、そいつは彼に向けて、ぺらぺらと語りだした。

「ちょうど適任者がいなかったのだよ。いや、何。アサシンの連中は思ったより姿を隠していてね。いやいや、本当にちょうどよく来てくれた。いやいやいや、若造、君にはちょっと重要な役目をやってもらうよ。だから今からいうことを全て覚えたまえ。覚えなければ死ぬだけだ」

 睨む彼の目が気持ちいいのか、おくびも恐れなど感じさせずに言葉を続ける。

「そろそろ五体のモルモットが完成しそうでね。君にはその監視役になってもらう。いやいやいやいや、気にしないでくれたまえ。当然君も生身のままじゃあない。そんな状態だと、いつ彼らの行動の余波で死んでしまうかわからないからね。なになに、ちゃんと監視役としての権限は与えるよ。ある程度の研究所の行き来の自由を約束しようじゃないか。当然、他の階の監視の意味も込めてだがね」

 舌を噛み切ろう。
 彼はしんと冷えた頭でそう思った。これ以上、こんなわけのわからない脳内構造を持つ狂人の戯言など聞いてられない。
 顎を動かす。噛み切るのなら、一度大きく広げなければいけないが――――

「おっと。死なれては困るよ」
「っ」

 後ろから、猿轡にも似た何かを無理やりかまされた。顎を動かそうと頭を振っても、当然のことだが外れる様子がない。
 首筋に鋼がかちかちと当たる。

「やっと捕まえた大事なモルモットだ。自害などされてはたまらんからね……ふむ、君には自傷防止用のプロセスも組み込んでおくか。後でシステム班に連絡したまえ。ああ、話がそれたな。すまない、癖でね。いやいや、気にしなくてもいい。ああ、何処まで話したかね。ああ、そうだ、監視の話だ。彼らの研究データはそれぞれの脳内に埋め込んだインターフェースから装填されるのだけれど、いつ彼らが自我を取り戻すかわからないからね。君はその抑制役というわけさ、若造。ああ、自我というのは……君に話したところで理解はできないだろうね、省略しよう。簡単にいうと、早い話が彼らの記憶は全てデリートされているのさ。あるのは、メインクラスに登録されている外部メモリーだけ。虚構記憶みたいなものと考えてくれたまえ。ああ、このネーミングセンスはどうだと思う? 今私が考えたのだが」

 狂っている。そうとしか思えない。

「君には任務があるから、記憶は残しておくよ。まぁ、裏切り者ユダというやつだね。皆が仲良しこよしで普通に生活している中で、彼らを見張るんだ。巧くやってくれたまえよ? 君の態度が怪しければそれだけ疑心が生まれる。そんなことになっては研究自体がままならなくなってしまうからね」

 ハルバードが首筋にがじり、と当たる。いっそこのまま、首を刎ね落としてくれと彼は普段冒涜している神へと心から願った。そんなプライドも尊厳も何もかもを奪われた生き方を歩むぐらいなら、いっそこの場で死したほうがマシだ。
 寿命がくるまで生かされ続けるのだろう。それは何年後か、何十年後か。
 しかし、そんな彼のわずかばかりの望みを打ち砕く、非情な声。

「研究は半永久的に進めていくよ。何、安心したまえ。私はこれでももう二百年は生きている。人間、ここまで極めれば案外無理はないものだね。もちろん、他の研究機関なんぞには漏らしてはいないがな。君らもそのつもりでいてくれたまえな?」
「……っ!?」

 くくくく、という狂笑めいたものを残して、所長は満足げに去っていった。
 彼は項垂れたまま、しかし、その目には明確な殺意を描く。たとえ他の連中モルモットがどうなろうと関係ない。

 アレだけは、殺す。

 自分の尊厳を奪い、プライドを奪い、誇り高き孤高の暗殺者をモルモット扱いするあの薄汚い人間を、殺す。
 猿轡をかませられたまま、ぎちり、と歯軋りをした。無理やり立たされ、奥の研究室へと運ばれる。彼は薬によって意識を失う直前まで、まるで抵抗するかのように目を見開き続けていた。




 そこには、尊厳も自由も何もなかった。
 毎日投与し続けられる、彼にはまったく理解できない薬品。次は体の何処をいじれば気が済むのか、毎日のように全身麻酔をかけられて手術室へと連れて行かれる。金褐色をした彼の目はありえないほど遠くを見渡せるようになったし、彼の肌は動くものの気配を事細かに感じれるほど鋭敏になった。
 このままアサシンギルドへ帰れば、ギルド内有数の腕の持ち主だった彼は一躍トップに躍り出れるだろう。けれど、もう自分は帰れない。

「あー、こんなところにいたのね」

 鬱々とした気持ちで廃材の上に腰掛けていた彼は、ふと投げかけられた声に面倒くさそうに振り向いた。
 そこには、茶に金が薄くかかった流れるような髪を持った少女が、こちらを見てぷりぷりと怒っている。

「今日の食事当番、あんたとあたしでしょ。まったく、何処いってんのかと思ったわよ」
「……食など、食えれば何であろうと関係ないだろ。お前一人で適当に作ってくれ」
「うわ、愛想ない言い方。っていうか、何であたしが一人で作んなきゃいけないのよ!? あんたも手伝いなさいっ!」

 ふざけてか本気か、ドンッ、という音を響かせて彼女の周りに赤紫の紫電が帯電した。それを、彼は冷めた目で見続ける。
 内なる破壊衝動を外気へと放出し、その突撃力を爆発的に高める爆裂波動というスキル。これは一部職しか使えない解脱的ともいえるスキルだが、精神構造を改悪されている彼らは自由に引き出すことが出来た。自分は精神構造は生身の人間のままだから使えないけれど。

「くだらん」
「くだらんって何よくだらんって!? ああ、もう、あんた、そんなんじゃたくわんだけにするわよ!」
「別にそれでも飢えは凌げる」
「たくわんを敷き詰めて、その上にたくわんのっけて更にたくわん炒めたやつをたっぷりと備えつけてやるわ!」
「……」

 何でこんなに必死なんだろう、こいつは。
 彼は言外にそういう目をして、蒼宝玉色の目をした彼女を見つめた。自分の金褐色のくすんだ目とは違い、抜けるような青空のような色合いを持つ彼女の瞳。いきり立つ度に揺れる彼女のストレートヘアと、よく似合っていた。

「大体、あんたなんでそんな愛想ないのよ。たった六人の仲間じゃない、もうちょっと愛想よくしなさいよね」
「俺に情などいらん。ただ、俺であればいい」

 仲間、という言葉を聴いて、彼は鼻で笑いそうになった。
 何が仲間だ。ここにつれてこられ、こいつらは記憶を失っているからいいかもしれない。けれど、自分には命を捨ててでも守らなければいけない誇りがあった。それを奪い取られ、あまつさえその仲間とやらの監視任務。
 ああ、そうだ。その監視対象を皆殺しにすれば、俺の任務解かれるのだろうか。遠くなりそうな思考で、けれど半ば本気で拳を握り締めた。

「ああ、もう、その俺っていうの禁止! あんたみたいな辛気臭い顔でいうとセイレンと被るのよ!」
「何を勝手―――」
「そうだ、あんたござる言いなさい、ござる。忍者っぽいし。ほら、アマツで人気のあの大道芸」

 忍者とは職であって芸ではない。

「貴様、いい加減に……っ!」
「何よ、文句あるっていうの? じゃあ、きりきり働きなさいよ。ちゃんとやんない内はそういう扱いだからね」

 こっちの返事を聞かず、すたすたと歩き去っていく少女。
 彼はぎりりと歯軋りをした。ここでもまた尊厳を奪おうというのか、あの少女は。何がござるだ。あんな絵空事の口調を自分にやれと言うのか。そしてやらなければたくわんのフルコースときた。
 まったく、ふざけている。ああ、本当にふざけている。

「……くそっ」

 けれど、食事当番をするぐらいで守れるのならば、安いものだろう。今まで一人で生きてきたため食事などには疎いが、これ以上踏みにじられるのも癪だ。
 誰かのために食を作る。今までしたこともないような重荷にため息をつきつつ、彼は廃材から腰を上げた。

 ああ、今でもはっきりと覚えている。
 初めて彼女と会話したあの日。あの時。あの廊下は。
 まぶしいほど綺麗な、夕焼けで彩られていたことを。




 それから数十年の月日が流れた。彼にとって見れば、その数十年という間のことが重く頭にのしかかる。
 年を取らない体、消えない記憶。薄れていくギルドのこと。変わり行く、窓の外の世界。他の皆は景色を見ることがないようプログラミングされている。窓の外の景色を見ることで、自分が今何年の景色を経ているかを読み取られてはゲシュタルトにつながる、ということだ。一日一日日付記憶はリセットされ、そして、曖昧な季節感だけが植えられる。何年経とうが何十年経とうが、彼らにとって見れば違和感が消えるという仕組みらしい。吐き気がする。
 そして、つい最近に自分たちのシスタータイプが完成したらしい。強さなどは自分たちと比べるまでもないが、人間の護衛などに使う簡易タイプ。素体に子供を用いるため、貧民街から簡単に拾ってこれるというコストを重視した設計なのだろう。吐き気がする。
 そして、少女の口癖が「たった六人の仲間」から、「たった十二人の仲間」に増えた。たった、とついておきながらいきなり二倍だ。いきなり六人の弟妹が出来た彼としては、どう接すればいいかわからない。
 けれど、少女たちは違う。記憶の中に、本当に自分の弟、ないしは妹と強制認識されている。そして、こんな無愛想な自分を慕ってくれる。黒が僅かに混じったこげ茶のお下げの少女も、自分のことを本当の兄と思って慕っている。

 その感情が、その恋慕が、その親愛が。
 彼にとって、少し、こそばゆい。




 そして、また数十年が経過した。
 別にたいした事件もなく、彼らは十二人の共同生活として割合ここを楽しんでいるらしい。最近は薬の投与もなくなってきた。
 そして、この生活に慣れ始めている、自分もいた。

「……何してんだ」
「ん? ああ、あんたね」

 食堂のテーブルにだらしなく上半身を投げ出して座っている少女を見て、彼は思わず声をかけた。少女は呻くように顔をずるりとずらした後、けだるげな瞳のまま彼を見やる。彼女の茶色の髪が、まるで打ち上げられたわかめのように机の上に広がっていた様は、はっきりいって何かの魍魎の類にしか見えない。おまけにその髪が顔半分以上を覆っているという、闇の中で見れば悲鳴の一つでも上げたくなる光景。

 もう夜も更け、メンバーはそれぞれ既に自室へと引き上げている。その中で、こいつは一人何をしているんだろう。

「んー、別に。ただ、何となくかな」
「何となくで悪霊降臨でもやっていたのか」
「何よそれ!?」

 さっきの光景を自分で見せてやったら頷くんじゃないかという想いを、顔をばっと起こしてこちらを睨んでくる少女に対してため息で打ち消した。
 何が何だかわからなかったが、少なくとも自分をバカにしてるんだろうということだけは理解した少女は、彼を半眼で睨みながら訊ねた。

「あんたこそ何してんのよ」
「……眠れなくてな」

 それに対し、先ほどまでの皮肉は何処へやら。彼は、ぼそりと小さい声で答えた。
 眠れない、というわけじゃないのだ。ただ、眠るのが怖い。眠って目が覚めてしまうのが、怖い。
 毎日のように曖昧な感覚のまま歩く彼ら。自分だけは自我を持っているという疎外感。けれど、その疎外感が、そのままそっくり回転することがある。
 ひょっとして、自分は自我を持っていると「認識されている」だけで、本当は彼らのほうが―――

「へぇ、あんたにもそんな一面があったのね」
「……うるさい。貴様みたいに毎日能天気に過ごしてるよりはマシだ」
「あんた、矢で口を二つに増やしてあげましょうか?」

 沈んでいた気分が、彼女の軽口で少しだけ浮上する。そして、返す自分の言葉も軽口。
 別段特に気にかかるわけではないが、何故か、顔を合わす度反発してしまう相手だった。
 彼女の脇を抜け、キッチンへと行く。流し台に向き合ったところで、後ろから少女の声が聞こえてきた。

「ねー」
「何だ?」
「最近、あんた丸くなったわよねー」
「……それは誉めてるのか」
「あったりまえでしょ。あんた前は一人で眉間に皺寄せて、こう、しかめっ面で」
「お前みたいな口やかましいのに付きまとわれれば、誰だってそうなる」
「あなた本気で喧嘩売ってる?」

 口やかましいヤツだ、と、彼は心の中で繰り返した。呟きは空気を震わさず、手だけは流し台の上を動いていた。かちゃかちゃとカップを揃え、適当な葉をつまんでポットへと注ぐ。
 どの葉が何の味かなんて、彼は知らない。ただ、適当に飲めればいいだろう。
 お湯を冷まし、カップへと注ぐ。

「ほら」
「ん? って、珍しいわね」

 未だに若布お化けとなっていた少女の前に、彼はティーカップを差し出した。中には琥珀色の液体。ソーサーなんて気がきいたものは当然なくて、それでも、彼は少女の前にティーカップを置いた。
 自分の分のカップを持って、彼女と対面の位置に座る。

「って、わ、苦っ!?」
「何だ、これぐらいで仰々しい」
「仰々しいってあんた……これ苦いっていうか渋いっていうか。よく飲めるわね、これ」
「自分で煎れたものだからな」

 やはり適当に煎れたのが彼女にとってお気に召さなかったらしい。紅茶の淹れ方などは、そういえばもう一人こだわってる女がいたが確かなんと言っていたか。お湯を注ぐときの温度だとか、葉っぱのブレンドの仕方など何か色々聞いた覚えはあるが、いかんせん、そんなことなど覚える気も能力もない。
 そんな風に思いながら、ふと目の前の少女を見ていると、ちょうど物凄いしかめ面でカップを口から離すところだった。その顔から若干怒気がそがれているように見えるが、もはや怒りを通り越して呆れているらしい。そんな彼女に意を介さず、彼はずずずと普通に紅茶とは名ばかりの渋い色水をすする。

「あんたねー……女の子にお茶だすなら、もうちょっとちゃんと煎れなさいよ」
「何で俺がお前の機嫌を取るために煎れなきゃいけないんだ」
「気が利かない男ね。それにソーサーもないし」
「あんなものあるだけ邪魔だ」
「だから、それがなってないって言ってるの!」
「ああ、もう煩い女だ」

 ばんばんと机を叩く少女に、彼は片目を閉じて見据える。ティーカップを口元に運びながらのその仕草は、妙に気障な印象を少女に与えた。
 その視線に当てられて、少女の頬に微かに紅が散る。

「~っ、そういう仕草が妙に似合う癖に、何で行動は伴わないの、こいつ」
「独り言なら心の中で言え。伴わせる気など毛頭ない」

 妙な空気のまま、彼らは共に紅茶を飲み続けた。少女は渋いだの苦いだの、文句を言い続けてばかりいるけれど。
 少女が席を立って「もう寝るわ、おやすみ」といって消えていった食堂のテーブルの上には、空になったティーカップが二つ。
 それを洗おうとカップを手に取った彼は、カップに残った薄い口紅の色を見つけ、

「……次は、もう少し丁寧に煎れてやるか」

 やれやれとため息をついて、流し台へと向かっていった。




 それは、プライドや自由とは無縁の世界。永遠に繰り返される、閉じた箱庭。けれど、彼は、段々とそこが居心地のいい場所へと変わりつつあった。
 まだ年端も行かない頃にアサシンギルドに拾われ、アサシンとしての生き方を骨の髄まで仕込まれた。人を殺す方法、人を殺すときの矜持、人を捨て人の影となった者の、唯一の自分を守る防衛方法。誇りと尊厳の持ち方。
 それら全てを打ち砕くような、心休まる日々。監視者という、自分はユダの役割だけれど、それでも、彼にとってはあの息詰まる世界を洗い流すかのような日々だった。

 彼はついにその言葉の真の意味を忘れそうになっていた。
 モルモットだという、その言葉の意味を。


 そして、破滅は足音もさせずにやってきた。
 モジュール315―――通称名、【スタンピート】の、実働実験だった。


 そのモジュールは、通称名が示すとおりわかりやすいプログラムコードだった。適任者一人の封鎖プロパティを解放し、肉体を制御しているステータス値のリミットを解除。結果、その攻撃力、防御力、敏捷力、魔術力は限界を見せずただひたすらに上昇していく。
 その様はまさに暴走の名を冠するにふさわしく、また、その力の上限を図るには普通の魔物、冒険者たちなどでは果たすことすら出来なかった。
 だから、その観測データには彼らが選ばれた。―――――仲間と刷り込まれていた、彼らが。

 そして、彼は唯一、観測データには含まれなかった。何故なら、自我があるせいで外部コマンド受け付けず、また。
 彼には、監視役と裏切りの二つが、任命されていたのだから。
 彼に与えられた組み込みプログラムコードは一つ。

 「暴走者が戦闘データを取り終えた後、その者を、抹殺せよ」。

 馬鹿げた話だった。
 そしてもっと馬鹿げた話が―――対象者が、彼女だったということだ。


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by Akira_Ikuya | 2006-09-15 08:58 | 二次創作


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