Scene15

 生体萌えスレに投下した十話後編の後編です。一応ひとまず物語りはここで完結。しかし、あえてこれだけじゃ説明不十分にしてるので、エピローグまで見ないといけないオチが。



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 廊下には、眩しいほどの夕日が差し込んでいた。薄暗い廊下を違う色が支配する唯一の時間。
 いつかの夕方。あの時、二人並んで窓の外を見たときのように。

 待っていたほうは違うけれど。
 セシルは、そこにいた。

「……」

 カツン、と、エレメスはブーツを鳴り響かせた。
 その音に肩を震わせ、セシルはそこに座り込んだままこちらを見ない。顔を膝の間に俯かせ、まるですがりつくかのように左手でスカーフの端を、そして、両手首のリストバンドを外し、右手でそれを握り締めていた。

 エレメスはカタールを外していた。
 左手は自分のスカーフを切り裂いたのだろう、セシルと同じく簡易包帯として矢傷に巻きつけられていた。貫通したがゆえに力が入らなくなったのか、手を縛り付けてる印象すら伺える。
 四人を射殺したセシルの前に立つには、あまりにも無防備ないでたちで、エレメスは血塗れたセシルの横に立った。

 二人を、斜に差し込む夕日が照らす。

「―――セシル殿は」

 エレメスから投げかけれた声に、セシルは肩を震わせた。エレメスの顔を見れない。彼の姿を、見れない。
 彼女の脳裏に、あの研究資料が強制的に記憶から呼び起こされた。悪魔、と書かれた表記。金色の、黒の悪魔。

 悪魔はエレメスなんかじゃない。
 ――悪魔は……自分じゃ、ないか。
 何かに支配されていたとはいえ、仲間四人を殺した。その動いている自分を、ずっと、心の奥底から見ていた。
 知らない振りをしようとしていた。けれど、さっき、気づいてしまった。
 呆然と、眺めていた自分を。眺めることしかできなかった、自分を。

「夕日を見れないんでござったな」

 まるでいつもの世間話のように投げかけてくる言葉に、セシルは声を失った。
 エレメスの声音はいつもと変わらなくて、セシルは訳もなく泣きそうになる。
 彼が隣に来て、何を言われるのだろうと思っていた。あの血の海を、四人の残骸を見て、それで彼は自分をどうやって責めてくるんだろうと思った。

 ――――そして、自分を殺しに来たんだろうと、思った。

「こんなに綺麗な夕日でござるのに……皆は、見れないんでござったな」

 エレメスは滔々と語りかける。橙で鮮やかに彩られた廊下を見ながら。

「……夕日なんて、壁で見えないじゃない」

 セシルは、俯いたまま言葉を返した。壁に阻まれ、薄闇で満たされた廊下を見ながら。

「……そう、でござるな。そうやってプログラムされたのでござるから」
「エレメス……?」

 ふと、その言葉は耳の奥に残った。
 思えば、エレメスが研究室に入ってきてからずっと違和感を感じていた。
 襲撃してくるときに、姿を隠していたのにも関わらずこちらに存在を感づかせた行動。
 皆が外部システムに制御されていたのに、彼だけは自意識が確立していたこと。
 そして、外部システムに制御されていた自分が、彼を殺せなかったこと。

「……エレメスは、何を知ってるの?」

 ――――何より、まるで、全てを知っているかのような口ぶりをすること。

 見上げられた視線に、エレメスはやわらかく微笑んだ。

「……全て、でござるよ」
「知って、たんだ」

 セシルは、リストバンドを握っていた右手の力を強める。

「―――――――じゃあさ、教えてよ」

 ブルーサファイアの瞳で見上げながら、セシルは、呪うようにその続きを口にした。


「あたしって、誰?」


 二人の距離は、十センチにも満たない。昨日の夕方、二人で流し台に立って一緒に料理したのと、同じ距離のはずなのに。
 隣で立っている彼が、セシルには遠く感じる。エレメスもまた、同じように感じていた。

「ねぇ、あたしって、誰なの? 本当に……ほんとに、セシル=ディモンなの?」
「……これで、五千回は超えたでござるな」

 返ってきた言葉は、セシルの求めていた答えでなく。

「セシル殿に、そうやって訊ねられるのは」

 予想だにしなかった言葉であった。

「……え?」
「もうプロテクトは外れたのでござろう? だったら、訊かずともわかるはずでござるよ」
「―――っ!」
「セシル殿の本名は拙者も知らないでござるよ」

 けれど、と言葉を続ける。

「そなたは、セシル=ディモンでは、ござらんよ」

 ―――ああ。
 セシルは意図的に目を逸らしていた記憶を、引きずり出した。右手で握り締められたリストバンドがこすれあって、かちゃかちゃと、音が鳴る。

 それは、遠い遠い記憶だった。
 背が高く、けれど体の線が細かった父。そして小柄ではあったが、優しくて力強かった母。
 そしてその中で生まれた、たった一人の子供。弓を好み、幼い頃からその道で名を馳せた、富豪の家で生まれた少女。
 それが、あたし。****=***。
 名前が思い出せない。父の顔も思い出せない。母の顔も思い出せない。編んでもらった毛糸のマフラーも思い出せない。
 ただ、リストバンドを握り締める。二人から遺された、唯一のもの。今まで、肌身離さずつけていたもの。

 それはここにつれてこられるまでの記憶。
 モルモットにされる前の、大切な記憶。今まで封じられていた、大切だったはずの記憶。もう色あせて細部は思い出せないけれど。
 それでも、本当なら忘れてはいけなかった、大切な記憶。

 けれど。そう、じゃない。
 セシルは、涙を浮かべた眼差しを、エレメスへとぶつけた。

「じゃあ、誰なの?」
「……? だから、セシル殿は――――」
「違う! ここにくるまでの話じゃないっ!」

 困惑したエレメスが返す言葉に、セシルは大きく首を振った。
 全てを知っている、と答えたはずのエレメスがうろたえている。きっと、自分は知ってはいけない何かを知ってしまったのか。

 脳裏をよぎる、血に塗れた遠い約束。
 今ではない時。ここではない場所。自分ではない自分。

 訊いてはいけない質問なのかもしれない。
 けれど、セシルは止まれなかった。

「――――――あんたと約束を交わしたあたしは、誰なのっ!?」
「――――――――っ!?」

 エレメスが絶句するのが、わかった。
 彼の金褐色の両目は困惑に揺れ、普段から張り付いていたへらへらとした軽薄な笑顔が消え去っていた。信じられないものを突きつけられたような、ただ、素のままの彼がそこにいた。

「あそこは、何処なの? ねぇ、何であんな記憶があるの? あれはいったい、誰なの?」
「……何で、それを」

 エレメスの声が掠れていた。

「わかんないわよ、そんなこと。こっちが訊きたいわよ! それに」

 セシルは涙を隠すことさえせずに、ただ、泣き崩れていた。


「……約束の内容、思い出せないのよ……っ!」


 血の海の中で。
 彼を抱きしめて。
 血に染まりながら、交わした約束。

 血の約束。


「あたしは……あんたと、逢ったことが、あるの?」
「……セシル殿」

 エレメスは、セシルの横にしゃがみこんだ。片膝をつき、彼女と目線をあわせる。
 エレメスの左手に巻かれたスカーフと、セシルの右腕に巻かれたスカーフが触れ合った。
 二人の視線が交差する。セシルは、弾かれたようにエレメスの胸に飛び込んだ。

 朱で染められた茶色の髪が、宙を泳ぐ。 

「もう、わけがわかんないよ……」
「……」

 自分の胸の中で泣きじゃくるセシルの頭を、エレメスは優しく右手で撫でつけた。撫でる度に、指を梳く度にいつもの絹のような手触りではなく、乾き始めた血がぱらぱらと剥がれ落ちる音がするけれど。
 それでも、この光景は、エレメスの記憶を疼き続ける。

「……ねぇ、どうしてこんなことになっちゃったの?」

 自分が、あんな古文書を解析してしまったから。
 エレメスを疑いたくないがために、自分一人で行動したから。
 その結果が、四人の死。
 日常の崩壊。

「エレメスは、いつも」

 己を呪う言葉を心中で吐き続け、それでもセシルは、求めるようにエレメスを見上げる。
 求めているのは、果たして、

「……いつも、誰を見ていたの?」

 救いか、断罪か。

「……」
「……黙っちゃうんだ」

 エレメスはそれでも、髪を梳くことをやめなかった。撫でるようにセシルの髪を梳き続ける。
 その感触に、セシルは、全てを投げ出して身をゆだねてしまいそうになる。その甘い誘惑に、飲まれてしまいたくなる。

「……セシル殿」
「……何?」
「全ては、悪い夢でござるよ」
「…………夢?」

 涙でくしゃくしゃになった顔に疑問を散らす。
 エレメスは、そんなセシルを見ながら、にかっと笑った。

「そ、夢でござる。ほら、今が今まで、全てが変なことばっかりだったでござろう?」

 セシルを胸に抱き寄せ、エレメスはセシルを視線から外した。
 あのまま、セシルの涙にぬれた瞳を見続けていたら、おそらく続きはいえなかったから。

「だから……今は、眠るといいでござるよ。起きれば、全てで元通りでござるから」

 おそらく、続きはやれないだろうから。
 エレメスは、右手甲の中から、先端が直径数ミリもない細い刃物を取り出した。

「だから――――」
「……待って」

 すっ、と、セシルの首元に刃を持っていったとき。
 セシルは、静かにエレメスの言葉を遮った。

「……最後に一つだけ、教えて」
「……なんでござろう?」

 エレメスの行動なんて、セシルには初めからわかっていて。
 それでも、彼に殺されるなら、と、最後の居所を彼の胸と決めて。

 だけど、これだけは聞かなければ、いけなかった。

「……何回、あたしを殺したの?」
「……………セシル、殿。どうしてそれを」

 動揺を消せばよかった。さっきみたいに、笑顔を浮かべて何のことでござるかな、と、全て打ち消してしまえばよかったんだ。
 それでも、胸の中で震えるセシルに、彼はこれ以上嘘をつけそうにもなかった。右手で握り締めている錐で自分の首を貫けたら、果たしてどれほど楽だろう。この目の前でおびえる少女に最後の凶刃を突きつけないで済む結末があったら、どれだけ救われるのだろう。

 けれど、それは叶わない。
 だってこれは、再現なのだから。
 何千回と繰り返した、悪夢なのだから。

「……言えないでござる」
「皆と共謀だったの?」
「……言えないでござる」
「……そっか。独りだったんだね。ずっと」

 拒否を否定と受け取り、けれど、それは彼にとってはどうしようもない真実で。
 何百回何千回と繰り返し続けてきた悪夢の渦中にいるエレメスにとっては、その言葉は、未だに身を切るほどつらい言葉であって。

「ねぇ、エレメス」
「何で、ござろう」
「あたしが、助けてあげるから」

 その言葉に凍りついたエレメスの胸の中で、セシルは言葉を続ける。
 肩は震えたままで。未だに涙は止まらなくて。
 彼に殺される恐怖心もあるけれど。全てがわからないままの恐怖心もあるけれど。

 今言っておかなければ、もう二度と、同じ言葉は言えないと思うから。

「あたしが今ここで死んでも、次のあたしが、それでだめなら、その次のあたしが」
「……」
「ずっと……あんたが終わるまで、隣にいてあげるから」

 けれど、今言わなければいけないと思うのは、きっとセシル=ディモンだけではなくて。
 その前の彼女も。その前の前の彼女も。メインクラスに登録されているオリジナルの彼女でさえ。

「だから……泣かないで?」

 くしゃくしゃの泣き顔を上げたセシルに、エレメスは何とか笑おうとした。
 けれど、頬は変に引きつるだけで。歯を食いしばった先に上からこぼれてくる涙が口にこぼれてきて。
 けれど、エレメスは笑った。非情の心を手にし、ユダの烙印を押された彼は、必死に笑おうと心から頑張った。

「……んっ」
「……っ!?」

 だから彼女は、今度は自分から唇を奪ってやった。

「……ね?」
「泣いてなんて、ないでござるよ」
「うん……うん」

 覚悟は、できた。
 彼の首に両手を回して、スカーフに鼻先をうずめる。しなだれるように押し付けた体は、胸が彼の体に触れてしまうけれど、それでもセシルはかまわずにエレメスへの抱擁を強くした。
 首の後ろで回した手の中に、スカーフの端とリストバンドを握り締めた。これだけは持って逝こうと、決めた。

 自分の背後で、動く気配がわかる。
 ぎゅっ、と、目を閉じた。

「たとえ、何度セシルを殺しても」

 その声は、今までのどの笑顔よりも。

「たとえ、何度皆を血祭りに上げても」

 その声は、今まで聞いたどの声よりも。

「それでも、俺には果たさなければいけない約束が、あるんだ」

 その声は、今までの彼のどの表情よりも。

「……絶対にお前を守るから。絶対に、助け出すから」

 その声は、ただ、優しかった。
 だから、心臓に刺さったその刃も、ただ、優しくて。

 セシルは眠るように、ただ、一つだけ思った。


 彼に好きだということを、伝えそこなったな、って。




 まどろみの中で、時折、窓の外を眺めることがある。
 研究所に備え付けられた宿舎の窓は、形だけは存在するものの絶対に開くことはない。外敵からの侵入を防ぐためだとか、色々とそういう理由を説明された記憶もあるけれど、早い話が自分たちをここから逃さないためだろう。
 今更逃げる気なども起きないし、自らここへきたのだから、郷愁の念ももうとうに薄れてしまった。

 ただ、一つだけ思うのが。
 この窓の外に、まるで隔離するかのように聳え立つ灰色の壁の向こうの夕日の色は――――今も変わらずにそこにあるのだろうか。

 ただ、そんなことを、まどろみの中で、思う。
 覚めないまどろみの中で―――セシル=ディモンは、ただ、思い続ける。


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by Akira_Ikuya | 2006-09-14 09:39 | 二次創作


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