Part4-Scene2

 Scene1の続き。早速追記へ。
 Scene3以降は、とりあえずコメント欄の動きを眺めながらぼちぼち張っていきます。



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「お客さんきてるわよー」

 姉の声が廊下の向こうからこのラボに響く。が、しかし。ラボから少女の返事は返ってこなかった。
 彼女にとって、今はそんなところではないのだ。というよりも、彼女の耳が姉の声を拾えているかがまずそもそも怪しい。
 彼女は、彼女にしては珍しく物凄く真剣な目つきをしながら、湯を張ったボウルを凝視していた。そのボウルの下では、部屋の一室にあるには少々場違いとも言える大きな釜がごうごうと勢いよく薪を燃やしている。小さな音を立てながら薪が爆ぜ、ボウルに張られた湯はぐらぐらと沸点を突破しようと沸き立っていた。

 水泡が少しずつ浮き上がってき始めたとき、彼女はためらうことなく人差し指をその湯の中につけた。一瞬熱さに顔をしかめるが、湯の温度を測ると指を引き抜き、試験管立てから一つの試験管を取り出す。その試験管の中腹ぐらいまで、何やら水にしては濁っている変な培養液がたまり、底には小さな丸い、玉のようなものが一つ、沈殿していた。
 彼女は試験管を軽く揺らし、底の物体を浮かしては沈め、浮かしては沈め、やがて満足いったとばかりにフラスコへとその玉を移した。移し終えたその試験管を、洗うことすらせずそのままゴミ箱へと放る。
 パリン、と試験管が割れる音と共に、何かが溶けるような音も一緒に聞こえてきた。

 彼女はそんなことまったく気にせずに、器を移し変えた玉をまた揺らす。目線の高さまで持ってきた丸底フラスコをふらふらと揺らしながら、先ほどお湯につけた指が僅かに痛むのに顔をしかめた。

 あいにく、この部屋に応急手当の道具はあることはあるが、それはこの釜の前を一旦離れなければいけない。今この場において、その選択をするには愚か過ぎる局面であった。彼女は、仕方無しとばかりに指を口に運ぶ。少々幼稚な仕草になってしまうが、背に腹は変えられない。痛いのは嫌だし。

 そろそろいいだろうか。指をつけた頃はまだ数個しかなかった水泡が、ボウルの中で次々と湧き出ては破裂していく。明らかに沸騰していた。
 フラスコの口を持ったまま、そっと底の部分を湯の中につける。普通のガラス製のフラスコならば、熱が一気に伝わってとても持てたものではないはずだが、彼女は特に気にするまでもなく、何となく銜え続けていた人差し指をなめながら、片手でフラスコを湯の中に浸していた。

 このフラスコ一個で、論文五個と等価なのだ。失敗するわけにはいかない。金銭的に。労力的に。
 五秒、十秒、十五秒。そのままの体勢で秒を刻んでいた彼女だったが、湯気で曇ったフラスコの内側で液体の中に気泡が立ったのを見届けると、

「よし、第一段階、成功っと」

 さっと、ボウルからフラスコを引き抜く。フラスコの口からは薄く湯気が立ってはいるものの、持ち口に熱はさほど伝わっていない。流石は最高級を誇るというだけのことはあるか。

 懐から懐中時計を取り出し、時間を確認。最初の工程からここまでで十五分。時間的にもまずまずと言ったところだろう。あとはどれだけ集中できるか、それにかかっている。
 フラスコを目線の高さまで持ち上げた。今まで熱運動でくるくると回っていた球体は動くのを止め、熱が逃げないフラスコの中で熱の余波かぶるぶると震えていた。巧く、このままいけば。必要な手順を頭の中にずらっと並べる。条件式を組み立て、それに伴う付随条件を列挙する。
 視線はフラスコを捕らえたまま、しかし、思考は更に深く深く、深海とさえ比喩されそうな頭脳の中に埋没していく。意識は乖離し、自分の手のはずなのに勝手に、ひとりでに動いていく。並べられた実験器具を扱い、さまざまな液体、薬品が入った試験管を次々と選別し、現状を把握し、今まで何度もシミュレートした手順を巧く再現し、そして、結果は必ず最上級なほどの成果を齎せ――――、

 ―――――バーンッ

「お客さんきてるっていってるでしょ!」

 ―――グシャ

「うひゃ――――って、いったーっ!?」
「ちょ、ちょっと、大丈夫!?」
「おねーちゃんのせいでしょうがー!?」

 突然な姉の怒声と大きく立てられた扉に音に驚き、思わず試験管を二つほど握りつぶしてしまった。手に硝子の破片が刺さるわ、その傷口に液体が染みるわでもう左手は大惨事。あわてて蛇口をひねり、血と一緒に薬品を流しだす。今のは生体維持用の、半ば羊水のようなものだったので害はないが、酸性の類だったらと思うとぞっとする。やっぱり、多少値が張っても末端の試験管もそこそこ高いのを買うか、などと、年に似合わず脳内でお金のシミュレーション。

「あーあ。もう、せっかく人がいい具合に集中できてたのにー。またやり直しじゃない」
「わ、悪かったよ。ほら、ちょっと傷口見せなさい」

 ざぶざぶと傷口に流水を当てていた手を掴み、姉は妹の指先を覗き込む。傷口からの出血が若干派手に見えるが、それは今まで水を当てていたからだろう。おそらく止血してテーピングしておけば出血自体はすぐに止まる小さな裂傷である。

「使ってたお薬、何か傷に障るのあった?」
「ううん、使ってたのは細胞活性剤だから、ひょっとすると怪我の直りが早くなるかも」
「そう、ならよかった……って、あんたねぇ。ここに閉じこもるのはいいけど、せめて私が呼んでるときぐらい聞きなさいよ」
「聞こえなかったのー。まぁ、お姉ちゃんにはこんなに集中したことなんてないだろうからわかんないだろうけど」
「待ちなさい、私にだって集中することぐらいあるわよ!?」
「あー……そろそろいいかな、お二人さん?」

 二人の仲睦ましい姉妹喧嘩を壁の外で聞いていたのだろうか。研究室、というプレートが半分ずれ落ちた扉のところで、口元に灰色のひげを生やした初老の男が、足元にジェラルミンケースを携えたまま苦笑していた。
 その顔を見て、思わず妹は「うっ」と顔をしかめる。それは、果たして包帯を巻きつけられた際の痛みによるものなのか、それともあるいは。

「ごめんなさい、ケルラソスさん。この子ったら、いくら呼んでも返事がなくて」
「ああ、いいんだ。気にしないでくれ。私も別に忙しいというわけではないから」
「おじさん、また来たの? いくら学術本積まれたって、そっちの協会には入んないわよ」
「相変わらず手厳しいな……っと、すまんが、ちょっと席を外してもらえるかの?」
「あ、はい。後でお茶でも持ってきますね。いいわね、ケルラソスさんに失礼なことないようにね?」
「わーかーってーまーすー。もういいから、お姉ちゃんはあっち行ってて」
「はいはい……じゃあ、ケルラソスさん、私はこれで失礼しますね」
「ああ、ちょっとお嬢ちゃんをお借りするね」

 姉が出て行き、扉がパタン、と閉まる。ケルラソスと呼ばれた初老の男は未だ扉脇に立ったままであり、妹は流し台の傍に憮然と腕組みをしたままである。姉へ見せていた、少々むくれたといったほうが適切だった可愛らしい表情は消えうせ、変わりに浮かんだのは年相応の少女らしからぬ険しい表情。
 対し、ケルラソスは出会い頭から変わらずの苦笑顔。双方の表情の差が、二人のそれぞれの立ち位置を如実に示していた。

「とりあえず、そこ、座ったら?」
「ああ、そうさせてもらうよ」

 年はおそらく三倍から四倍は違うであろうケルラソスに対し、少女は敬語のかけらも、尊敬の意の片鱗も見せず、くいっと顎で研究室の奥のほうにあるガラステーブルをさした。そこにはガラステーブルを挟んで向かい合うようにおかれた一人用ソファーが二つ。
 ケルラソスは少女の言葉に頷きつつも、やはり苦笑を堪えることができない。座ることを勧められたソファーはともかくとして、その前にあるガラステーブルの上には山と積もった書類やらファイルやらが幅を利かせている。うっかり何か余計な衝撃を加えると、雪山よろしく雪崩が盛大に引き起こされることだろう。

 これはちょっと、座るのには勇気がいるなと、ケルラソスは極力ガラステーブルに触れないようにソファーへと身を沈めた。そのときに、目に見えるほどの埃が舞い上がったのは、果たして彼女から彼へのいじめをこめたメッセージなのだろうか。

「それで、わざわざ出向いたってことは何か用なんでしょ?」
「お嬢ちゃんには余計なことを言うと、なおさら嫌われてしまうからの」
「嫌われてるのわかってんなら、こなきゃいいのに」

 不機嫌そうに吐き捨てて、ようやく少女は流し台からガラステーブルへと移動してきた。
 ガラステーブルの上に築いている紙の山を床に落とし、ガラステーブルの上に面積を作る。そして座ろうとしてソファーを見たとき、そこにうっすらと覆っている埃のゲレンデを見つけ、顔を歪めた。

「なんじゃ、この埃は嫌がらせかと思ったんだが、違ったのか」
「誰がそんな手のこんだことするのよ。あーあ、これじゃ座れないじゃない」

 掃除をしない自分が悪いのだが、この部屋の至る所に点在している書類の山―――標高三十センチほど―――を見ると、掃除する気も失せるというもの。姉ですらこの書類を崩したら後は大変とばかりに、手前のほうの作業場は掃除してくれるが、奥のほうの応対・事務スペースは掃除してくれないのだ。尤も、自分で掃除しろと暗に示しているだけなのかもしれないけれど。
 仕方なく、埃が舞い上がるの覚悟でそこへ座る。流石に自分に逢いに来た人物と立ったまま話すという無礼さは持ち合わせていないようだ。たとえ、それが嫌っている相手だとしても。

「それで、早速本題なんだが」
「また協会の話?」
「いや、違う。これは私が勝手に持ってきた話じゃ」

 舞い上がった埃にけほんげほんとむせていた少女は、その言葉に片眉を動かした。どうやら、一言で切って捨てられるような話ではないようだ。

「話の内容は?」
「お前の研究内容の助長、といったところじゃろうか」
「……協会とは一切無関係、ということは、何かしらあんたにメリットをつけなきゃいけない、ってことよね?」
「いや、それもいらん。一人の学者として、いや、二人共を一学者として、私はお前に話を持ってきた」
「……」

 ケルラソスの言葉に、流石に少女も黙り込む。
 正直な話、元々何かと自分の世話を見たがるこの初老の男をあまり嫌ってはいないのだ。ただ、過ぎたお世話は多感な年頃の彼女からしてみればうっとうしいもの以外何物でもなく、元来根っこの部分で引きこもりの少女にしてみれば、一つの学術協会へと無理やりにでも加入させようとさせられる内にこのケルラソスという人間を嫌いになっていった。
 だが、幼いままで天才の名をほしいままにした彼女をして、このケルラソスという学者は、学者としては簡単に切れるような男ではないことも、確かであった。その有能さは、おそらく彼女とは違い、積み重ねた年輪の分だけ努力した結果であろう。彼が若いころ書いたであろう論文を以前数度眺めたことはあったが、自分贔屓を除いても、正直自分の足元にも及んでいなかった。
 だからこそ、彼女はこの男の学問への探究心を決して侮ってはいなかったし、その努力と実績を、学者として、自分より高いものにすら位置づけたこともあった。

 そんな彼が、自分のところへ持ってきた、メリットも生産性も何も付与していない学術の話。それも、内容は自分の研究テーマに対するものらしい。
 学者として好奇心がそそろられた。意図せず、上唇をぺろりと舐める。この来訪が、吉と出るか、凶と出るか。

「いいわ、聞こうじゃない。何?」

 少女の言葉を聴き、ケルラソスは脇においていたジェラルミンケースを取り出した。
 ガラステーブルの上の埃を舞い上がらせながら開かれたジェラルミンケースを、少女は肩眉を潜めながら覗き込んだ。その中にあるモノを見た瞬間、少女は潜めた眉を吊り上げた。

「ちょ、あんた、これって……」
「ふむ、一目見ただけでわかるとは流石だの……それとも、天才としての嗅覚か?」
「……正直ね、今、負けたって思った。あたし、コレの存在なんか半分信じてなかったもん……」

 悔しそうに歯噛みしながら、それでも、沸きあふれる好奇心を抑えられないのか、少女は食い入るようにそのケースの中に入っていたものを見つめている。
 ジェラルミンケースの中に入っていたものは、ケースの大きさに反比例して小さなものだった。ケースの至る所に敷き詰められている緩衝材の中心に作られた四角形のくぼみ。そして、その横に作られたフラスコ型のくぼみが四つ。

「嬢ちゃんを負かせられたのなら、私の学者人生も満更ではなかったということじゃな。で、これが何なのか、もう言わんでもわかろう?」

 くぼみに収められているのは、四角の硝子ケースにいれられている、宝石のような赤い石。
 納められているフラスコに入っているのは、培養液の中につけられた、黄土色の丸い物体。
 その二つを信じられないという目つきで見つめていた少女は、きっ、と、視線を目の前のケルラソスへと戻した。

「賢者の、石」
「あたりじゃ。触るまでわからないか、わかったところで認めず門前払いを食らうかと思っていたんだが」
「……認めたく、ない。けど、あたしだって、仮にも天才よ。現実に目の前にあるのなら、認めないといけない」

 ケルラソスがそのくぼみに手を沿え、ガラスケースを取り出した。中に入っていた鉱石は、まるで熱で溶かされた飴細工のようにふるふると震えている。

「あたしでさえ、文献の中でしか見たことなかったのに……どうやって、これを練成したの?」
「言うと思うか? 嬢ちゃんが仮にも天才なら、私は仮にも錬金術師の端くれじゃ。錬金術師の基本を忘れたわけではあるまい?」
「等価交換、ね。わかったわ、何がお望みなの?」

 ジェラルミンケースの横に置かれた、賢者の石が入ったガラスケース。それを中心点とし、二人は一瞬たりとも視線をそらさず真っ向からにらみ合った。

「研究記録」
「……何ですって?」
「研究記録、じゃ。残念ながら、先の言葉どおり、私はただの錬金術師の端くれじゃ。私にこんな代物を扱える技量があるとは思えん」
「こんなものを練成しておいて、よくもまぁ、そんなことが言えるわね。嫌味かしら?」
「思い過ごしをしとるの。私が練成したのなら、練成できたのなら、ここにこうやって持ってくるとでも思っているのか?」
「え?」

 言われてはっとする。
 ケルラソスという男は、凡人だ。その他大勢の中に埋もれる、普通の凡人だった。少女が彼に持つその認識は決して間違えていないし、ケルラソス本人も、自分のことを凡人としか思っていない。
 しかし、彼は、努力できる凡人でもあった。凡人であることを自覚し、痛感し、それでも錬金術という不安定な世界の中で自らを磨き、研鑽し、天才である少女の目の端に止まることができた男でもある。

 それほどまでに研究に貪欲な男が、それほどまでに自らを鍛え上げた男が、自分でできそうな取っ掛かりを見つけておいて他者に委ねるような真似をするであろうか。

「……誰が、練成したの?」
「おそらく、個人ではなかろうな。個人で練成できるのならば、嬢ちゃんが既にしてるだろう」
「あくまで秘密、ってことなのね。ほんと、食えない人だこと」

 ため息ひとつ。そのまま、ガラスケースへと手を伸ばした。

「で、研究記録を提出する代わりに、コレをサンプルとしてもらっていいのね?」
「ああ、それで構わん。それを媒介にして量産するも自由、サンプルとして使うも自由じゃ。そこにある胚も使ってくれて構わん」
「……このエンブリオも、何か違うわね。あたしが練成したのと、色が違う」

 ガラスケースを天井の照明にかざし左右に揺らしていた少女は、ケルラソスの言葉を聴いてジェラルミンケースの中へと視線を戻す。
 そこに納められている四本のフラスコ。直径一センチにも満たない黄土色の胚を見ながら、少女は年齢にそぐわないほどの険しい目つきでケルラソスを見据えた。

「答えて。これ、どうやって練成したの?」
「言えんの。私でさえ、詳細は知らないのだから」
「……何よそれ、知らないことばかりじゃない」

 呆れた、といわんばかりに目元を緩める少女。対し、感情を読めない表情で苦笑するケルラソス。

「話はこれでお終いかしら。さっそくこれを使って色々やってみたいんだけど」
「私からは以上だ。嬢ちゃんは何か聞きたいことはあるかの」
「んー……といっても、聞いてもほとんど教えてくれないんでしょ? だったら、あとはあたしで何とかするわ」
「そうか、わかった。記録書はうちの協会のものに取りに行かせる。週単位でいいかの?」
「わかったわ。制限時間はあるの?」
「特に設けとらん。嬢ちゃんの気が済むまでやればいい」
「あたしの気が済むまで、ね……あんたたち、とことんあたしにやらせる気なのね」

 ほっほっほっほと朗らかに笑う好々爺に、少しだけ口元で微笑みながら少女はソファーから立ち上がった。

「じゃあ、あんたが研究サンプルを提示することで、あたしが研究記録を提出すること。等価交換はこれでいいわね?」
「嬢ちゃんが請け負ってくれて何よりじゃ。私たちでは誰が持っても宝の持ち腐れだしの」

 情けないなぁ、とは思わない。研究者として生きる以上、自分に対する尺度と、他人に対する尺度は絶対的なものとして持たなければいけないのだ。その尺度を見誤り、自分を、他者を、過大評価/過小評価することは学者人生としての終わりを意味する。常に冷静に、奢らず、卑屈にならず、他者を褒めず、侮らず。
 だからこそ、少女はこの研究を自分に任せるケルラソスを惨めとは思わない。このサンプルを目の前にして怖気ついた協会の研究員を情けないとも思わない。少女ですら、サンプルを作れなかったほどの研究命題なのだ。そんなものを、その他大勢の中に埋もれてしまう彼らが触れられるはずがない。

「はいはい、それじゃ帰った帰った。あたしはこれから研究に忙しいんだから」
「何じゃ、私はまだお茶をもらっとらんが―――」
「おねーちゃんなら、多分部屋の外にいるはずよ。入れなかったんじゃないかしら」
「……何でそんなところは鋭いのよ、この子は」

 扉が遠慮がちに開き、ティーポットなどが載ったお盆で両の手がふさがっている姉が憮然と扉のところで立っていた。その様子に少しだけ苦笑したケルラソスは、ソファーから立ち上がり応接スペースを抜けた。

「じゃあ、おいしいお茶は今度の楽しみとさせてもらうよ。また煎れてもらえるかの?」
「あ、はい。すみません、何だか私が入れるような雰囲気じゃなくって……」
「気にしとらんよ。それじゃ、二人とも。元気での」
「はい、ケルラソスさんも」
「もう二度とこなくていいわよー。研究だけはちゃんとやっといてあげるから」
「こ、こら!」

 そんな楽しげな姉妹喧嘩の声を背に、ケルラソスは玄関をくぐっていった。
 姉は呆れ顔のまま、手短な机にティーセットを置く。妹は、なにやら無骨なジェラルミンケースを携え、姉の近くへとやってきた。

「それで、今度は何の研究をするの?」
「ん、今までと同じ。しいて言えば……少しは糸口が見つかった、って感じかな」
「そう……またあんたの引きこもり度合いが上がるのね。はーあ、この部屋、カビ生えちゃうわよ」
「むー。失礼な。それにカビが生えるってことは生物が生きやすい環境ってことで、デメリットばっかりじゃないんだから!」
「普通ならデメリットなのを屁理屈でメリットに変えてるだけでしょうが。それに、ほら……頭、埃かぶってるわよ」

 困ったように笑いながら、姉は少女まで歩み寄り軽く頭をはたいてあげる。少女は再び舞い上がった埃に少しだけ嫌そうな顔をしたが、憮然とした表情のまま姉のされるがままにまかせていた。
 姉に抱きつくような体制のまま、少女は、ぽつりと姉を呼んだ。

「ねぇ、お姉ちゃん」
「ん?」

 妹の声の質感がいつもと違うことを感じ取り、姉ははたいていたのをやめ、何となく撫でる動作へと変えてやる。その仕草に触発されたのか、妹は両の腕を姉の腰に回す。

「今度の実験ね、成功すれば、まず間違いなく錬金術の歴史が変わると思うの」
「うん」
「それでね、ケルラソスが……その実験のために、サンプルをもってきてくれたの」
「うん」

 回してきた手に力が篭る。そんな妹に対し、姉は小さく笑みを漏らした。
 幼い頃から天才、天才と周りに囃し立てられ、妹は自分の才能と実力を理解した。そして、その期待と現実を裏切らないよう、いつも自分を叱咤し、まるで誰かに急き立てられるかのように生きてきたこの少女。

 そんな自分の妹に、言葉にできないほどの慈しみを感じながら、姉は撫でる手を止めない。
 妹も、言葉をとめずに、姉の前にすべてをさらけ出す。

「あたしね、少し……少しだけ、怖い」
「うん」
「この実験、成功しても失敗しても……多分、変わっちゃう。色々なことが。何かなんてわかんない、でも、今までいろんなこと実験して論文書いて……これだけは、違う、って、わかるの」
「うん」

 自分以外にはいつも毅然と、それこそ傲慢とも高飛車とも言われるような態度をとっている妹だけれど、それでも、心はまだ年端も行かない少女なのだ。大きな壁があれば立ち止まるし、悩み、尻込みもする。
 それでも、こうやって甘えてくることは少なかった。いや、過去に数度と見たことがない。

 それほどまでに大きな壁にぶち当たっているのだろうか。姉は、撫でていた手を止め、妹を強く抱きしめた。

「それでも、やるんでしょ?」
「……うん。でも、怖いの」

 妹の手が震えてる。それに気づき、姉は抱きしめてる力を増した。
 自分には、錬金術のことなんて欠片もわからない。自分の父が偉大な錬金術師だったことは、ケルラソスを含め、いろいろな人に聞いた。けれど、自分には才能も、興味もなくて、母が大成したという剣を手に取った。そのことに悔いはない。才能のすべてが妹に行ったところで、悔いることは何一つなかった。

 ただ、才能をすべて妹に押し付けてしまった負い目は、あった。

「ケルラソスから、あの知識欲の塊みたいなケルラソスから、託されたの。きっと、とても悔しかったと思う。あたしみたいな、我侭で、人をなめてるみたいな言葉しか言わない小娘に自分の大切な研究データを預けるなんて、とても悔しかったと思う」
「うん」
「それでも、あいつは、あたしに預けた。だから、あたしは、応えなきゃいけない。協会の人たちの期待に、応えなきゃいけない」

 周囲の期待、周囲からの信頼。自分ほどに成長した身ですら、きついそれを、どうして妹のような少女が受け止められようか。どれほどまでにそれが重いだろうか。
 そんな妹の重荷を、少しも肩代わりできてやれない、自分を悔いる。

「大丈夫。大丈夫よ」
「おねえ、ちゃん?」
「大丈夫、きっと成功するわよ。だって、あんたは私の妹でしょ?」

 妹が顔を上げる。いつもの自信にあふれた笑顔でなくて、少しだけ涙の後が見える、ほんの少し赤みが混じった眼差し。そんな視線を、姉は笑顔で返した。

「失敗しても大丈夫。どんなに危険な目にあっても、ちゃんと私が助けてあげる。だから、ね。あんたは、そんなに怯えなくていいの」

 目を伏せ、少女の頭に手を沿え、抱きしめる。妹も姉の豊満な胸に顔をうずめ、背中に回していた手をぎゅっと握り締めた。

「うん……うんっ」
「ほら、いつまでもそんなにめそめそしてたら、父さんの遺した研究が失敗に終わっちゃうよ」
「うん……」

 どうやら、完全に甘えモードのスイッチがオンになってしまったらしい。泣き止んでも自分の体から離れない妹に、しょうがないなぁ、と言わないばかりに撫で始めた。今日は、委託された研究も手がつかないだろう。持ってきておいたお茶も多分、もうすっかり冷めてしまっているはずだ。
 煎れ直してあげようにも、これだと動けない。姉はそんな風に苦笑しながら、妹が離れるまで撫で続けてあげようと、心に決めた。
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by Akira_Ikuya | 2006-07-02 16:07 | 二次創作 | Comments(2)
Commented at 2006-07-04 18:05 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by Akira_Ikuya at 2006-07-04 20:16
>屍を転がした人(何
主人公が女性なのは俺にとってしてみれば珍しいのですが!
たまたまですよ、うん。っていうか、女性視点の話は珍しいのですがっ(二度言う


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