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Scene30 - 1

 やっぱり日付が空いてしまったー!
 そんなわけで、AL第二話でござい。ALは現代、過去、という順繰りの話で進む上に、おそらく過去のほうは複数話で一話という形式で進んでいきます。
 というわけで、第二話、「その右手に掴むもの」第一パート、「その右手には騎士剣を」



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 片膝をつき、頭を垂れる。さらりと流れた菫色の髪の傍を、白銀の刃が柔らかく動く。彼女の髪を撫でれるほど近くに振り下ろされるその刃は、二度、三度、流麗なきらめきを残して眼前に立つロードナイトの足元へと切っ先を納めた。自らの傍に振り下ろされていたと言うのに、彼女は双眸を閉じて静かにその剣先を受け入れていた。
 その白銀の刃は、とても人を殺めることなど出来そうにないほど様々な宝石、装飾に彩られていて、見た目は麗しいが酷く鈍重に見えた。騎士剣を振るうロードナイトは、傍目には顔を引き締めてこの儀に向かっているはずではあるものの、その刃の扱いに苦労しているようだった。自分の愛剣を振るうときのような俊敏な音が聞こえない。尤も、今こうして身動き一つしない彼女に怪我でもさせたら大変だと、心配性な性格に上乗せして臆病になっているのかもしれないけれど。
 下段の構えのまま止まっていた儀礼用の騎士剣を、ロードナイトは胸元の高さまで引き上げ、剣の腹を彼女に見せ付けるようにして切っ先を天に向けた。両手で長い柄を握り締め、そのまま儀が始まる前まで立っていた場所へと後退する。自分の場へ戻ったとき、今まで引き締めていた口元がようやっと緩み、ロードナイトは騎士剣を腰元の鞘へと納めた。キィン、と静謐なこの場に響く鋼の音に、ほんの小さな彼の安堵のため息が混じる。
 剣が納まる音を聞き届け、彼女は双眸を開けた。それでも、決して頭は上げない。眼前にはもう先のロードナイトはいない。今、自分の目の前にいるのは。

「顔を上げなさい」
「はっ」

 静かな声だった。
 彼女は言われたとおりに、垂れていた頭を上げる。彼女の視線の先では、派手な装飾が成された玉座に座る壮年の男が、こちらを見据えていた。頭には美麗な装飾で彩られた金の王冠が乗り、口元には豊かな髭が整われ。精悍な顔つきに、玉座さえも小さく見えてしまうほど大きな体躯。
 広大なルーンミッドガッツ王国を統べる王の名を、ルシル=トリスタンと言った。

 彼女の菫色の瞳と、王の菫色の瞳が交わる。
 王は立ち上がり、一歩彼女へと歩みを進めた。

「今この場にて、昇進の儀は執り行われた」

 その声を受けて、王の傍に控えていた従者が金で彩られた台座を抱えて持ってきた。その台座の上には、空よりも澄んだ蒼の色でまとめられた鞘に納められた騎士剣が一振り、乗っていた。従者は王の足元にその台座を置き、跪く。王が頷くと、従者は頭を下げて再び脇へと戻る。
 玉座の間に集められた十六人の文官、武官それぞれが、彼女と王を見やる。その全員に、そして、目の前の彼女へと、王は、三度口を開いた。

「よって。今この時を以ち。セニア=トリスタンを、ルーンミッドガッツ王国騎士団第一師団副師団長より、ルーンミッドガッツ王国騎士団副団長へと、任命する」

 王の声を受け、拍手も、歓声も沸きあがらなかった。彼女は、先と同じように小さく返答の声を発し、十六人の幹部は誰一人として動かない。
 その中で、先の台座を持ってきた従者が再び王の元へ歩み寄り、台座を抱えて彼女の傍へと移動してきた。今度は跪くことすらなく、従者は彼女の足元に台座を置いてすぐさま退散する。彼女は台座に乗られた蒼色の騎士剣を見つめ、恭しくその騎士剣を手に取った。

「このセニア=トリスタン。我が身をこの剣に捧げ、我が命を盾として国に捧げ。国のため、民のため、戦うことを誓います」

 深とよく通る声による宣誓が成され、彼女は立ち上がった。シャンと鈴を鳴らしたような清廉な音が響き、蒼色の鞘から刃を引き抜く。その騎士剣を、先のロードナイトがやったように胸元まで持ち上げ、切っ先を天に向けて刃を王へと向けた。

「これからもよく励みなさい」
「騎士団の名に、王族の名に恥じぬよう、全力を尽くします」

 父から娘へかける言葉としては優しくて、娘から父へと向けるにはあまりにも悲しい言葉。それでも、王はそれに満足したかのように口元にだけ笑みを浮かべて、彼女に背を向けた。そのまま玉座へと座りなおし、そして、次は彼女が一礼の後に、王に背を向けた。騎士剣を鞘へと納め、腰元の鞘袋へと直す。そのまま、左右八名ずつが街路樹のように立っている中央のレッドカーペットを通って玉座の間を後にする。
 その最中に、横目でついと視線を動かすと、先ほどのロードナイトがこちらを見つめていて、

「……」

 彼女はふいと視線を外した。この息の詰まりそうなほどの静寂に満ちた空間の中、一人だけ微笑みかけてくれたロードナイトが気恥ずかしくて。
 彼女がその場を離れるまで、結局、拍手も歓声も、ないままだった。






「第三位王位継承者、セニア=トリスタン。御年十八。王家慣例により、八歳で騎士団見習いとして騎士団に入団。十五歳で騎士団の花形である第一師団副師団長に就任。そして、僅か三年で異例の騎士団副団長……いやー、凄いね。ほんと同い年?」
「……ん、な」

 自室に戻ってきたセニアは、自分のベッドに横になりながら素足でぱたぱたとシーツを蹴飛ばしている顔馴染みの少女を見つけて、物凄い脱力感を覚えてその場に崩れ落ちた。少女は喉に餅でも詰まったかのようなセニアの声を聞いて、目尻を下げてけらけらと笑う。
 茶のブーツはベッドの下に脱ぎ散らかされ、当の本人はそのまま寝巻きにできそうな薄着一枚でころんとベッドに転がっている。そんな無防備とも言える格好でくつろいでいるこの少女が、プロンテラ城の厳戒な警備を潜り抜けて王族の部屋にまで侵入しているというのだから、世の中奇妙なものである。もちろん、この部屋の主であるセニアも、憲兵も、誰一人としてこの少女の立ち入りを許していない。
 シーフ、という職についてもうそれなりに長いのだろうこの少女は、侵入していたのをセニアに見つけられて以来、こうして時折唐突に現れていた。

「いつもは泰然としてるセニアのそんな様を見れるのはわたしぐらいだろね。いやー、役得役得」
「私のベッドに寝転び、あまつさえ私の名を呼び捨てにしてくるのも貴女ぐらいだ」

 重ねて言うが、侵入は元より、ベッドに寝転がるのも呼び捨てするのも、誰一人として許していない。
 セニアは盛大なため息をついて立ち上がった。
 そのまま、もう少女のことは気にしないようにして部屋の隅に追いやられている机の前へと向かった。腰に携えていた鞘袋から騎士剣を取り出して、がらんとした机の上に横たえる。そのまま、装飾ばかりが優先されたせいで着心地も何もあったものではない儀礼用の鎧を脱ごうと金具へと手を伸ばす。銀篭手、肩当をはずし、マントを椅子へとかけた所で、彼女はようやく一息ついて最後の胸当ての金具を外した。

「片付けないの、それ?」
「どうせ明日には騎士団の宿舎に戻る。このような鎧持ち帰っても役に立たん」

 そっか、いらないんだ。少女はそう呟くと、ポニーテールを揺らしながら嬉しそうに言葉を続けた。

「じゃあ、それわたしの今夜の獲物にしちゃおうかな」
「……」
「そんな怖い目で睨まないの。嘘々。そんな国に喧嘩売るような真似できないって」
「既に王族には喧嘩を売っているようにも感じるがな……それに、堂々と城の、しかも第三子の部屋に上がりこんでいるシーフが何を言うか」
「嘘つきは泥棒の始まり、って言うじゃない。だからシーフは嘘ついてもいいんだよ」

 銀光する鎧を舌なめずりしながら見つめている少女に、セニアはなんと返せばいいのやらと口の端をひん曲げた。この少女と会話をするようになってそれなりの日数が経つが、一度も口で勝てたことはなかった。元来、それほど口達者というわけでもないのだが、それなりの会話なら苦もなく行えたというのに。それこそ、上辺だけの適当な会話なら三歳のころから教え込まれた。
 上辺だけの会話では、どう頑張ってもこの少女には敵わない。しかし、自分には上辺以外で言葉を語る術を持ち合わせてはいなかった。

「本当。変な人だ。貴女は」
「シーフの適正試験では抜群の成績だったよ?」
「騎士団には入団試験があるが、シーフにもそういうものがあるのか。意外と厳正なんだな」
「もちろん嘘だけど」
「……そうか」

 下鎧のフレアスカートの裾をつかんで、ちらりと自分のベッドで寝転んでいる少女を見やる。下鎧といっても、今日の儀に使われるような代物だ。皺がつかない内にさっさと脱いで保管して置きたかったが、いくら同性とはいえ、最後の一着を脱ぐ踏ん切りはつかなかった。
 椅子を引いてスカートの裾を折りたたんで座る。この少女相手に贅沢を言っても仕方ないのは、今までの経験で知っている。精神的に疲れきっているため眠りに就きたかったが、そんなことを言えば最後、おそらく夜半過ぎまでこの少女は居座り続けるだろう。

「それで。今日はどうしたのだ? 儀礼の日だったから、警備はいつもより強固だったはずだが」
「うん? どうしたのって、何が?」
「『仕事』で来るのなら、私がいない日のほうが事を運びやすいだろう。それに、日が日だ。何か狙いがあると考えて然るべきだと思うが」

 少女のほうを見やると、対する少女は、両肘を立てて掌に載せていた顎をつんと突っ張り、小さく笑った。

「君の顔を見に来た」
「そうか。貴女が男性でなおかつ秀麗な顔立ちで義のために人のために戦う騎士だったならば少しは頬を染めて上げれたかもしれないがな」
「言ってる言葉と頬の色が違うよん?」
「……疲れているだけだ」

 不意打ちで放れたら言葉に思わず赤面してしまったセニアは、少女の言葉から逃げるようにして自分から視線を逸らした。それを見ていたシーフの黒曜の瞳が細められる。

「ほんとに可愛いね。わたしが男だったら放っておかないのに」
「やめてくれ。ただでさえ騎士団では女性兵から色々言われているんだ」
「へぇ……見てみたいな、今度」
「絶対に来ないでくれ」

 辟易しつつも、セニアは笑った。少女も、セニアの顔を見て笑顔をほころばせる。
 かけられる言葉も、返す言葉も、一切の衒いもなく、ただお互いの感情だけが乗っている。少女の天真爛漫な言葉の数々に比べれば、少女を相手にして初めて知った会話の仕方など、比べるのも可笑しいぐらいに拙いだろう。それでも、少女はセニアに言葉を求める。セニアに笑顔を求める。
 その会話に意味なんてなく、たいした道義も求めず、それでも、セニアはその会話が心地よいとは、思う。そのような会話相手を望んでも与えられず、幼きころから王族としての全てを教え込まれ、そして、剣の道まで修めさせられた姫という立場に、その少女のような存在は、ただただ、眩しくて。

 『君の顔を見に来た』。
 冗談としても、その言葉がありがたい。ただの一つも歓声や祝いの言葉が上がらない昇任の儀なんかよりもずっと嬉しくて、それが故に、きっとこの少女を警備の者に突き出せないのだと、自らの甘さを感じるのであった。

「もし本当に来たいのなら、入団試験を受けて騎士団入りするのだな。腕力がいかほどかは知らないが、ここで顔を合わす回数を考えても試験自体はこなせるだろうに」

 椅子の背もたれに肘をかけてそうやって笑うセニアに、少女は嫌そうに眉根を寄せて呻いた。

「えー。だって騎士団って堅苦しそうじゃない」
「またにべもないことを……」
「それに、ほら。えーと、名前なんだっけ。あの団長さん。いつもしかめっ面してるし。怖い怖い。無理無理」
「……セイレン様が?」

 少女の口から毀れた人物の意外な印象に、セニアは小首をかしげて少女を見る。
 それを受けて、少女はきょとんとして答えた。

「え。何、そこ首かしげるとこ? ほら、いつも陣頭指揮執るとき、こう、眉間のすっごい皺寄せてて。いつも剣の柄を両手で押さえ込んで地面に騎士剣突き立ててるじゃない」
「……そ、そう、か?」

 プロンテラ騎士団長、セイレン=テルフォード。鋼色の硬質な髪に、ルビーのように燃える赤い色の瞳。三十路を超えたぐらいだというのに栄えある騎士団長に任命され、全に厳しく、己にも厳しく、規律を重んじ、誰よりも国のために動こうとする。まさに全ての騎士の象徴とも言える存在でもあり、また、憧れでもあった。
 と、言うのが、この国に住んでいる人間ならばある程度のことは知っている周知情報ではあるのだが。

「……」

 昇任の儀のとき、自らの前で剣舞を行い、剣洗礼を行ってくれたその人物に思いを馳せる。確かに、いつも眉間に皺を寄せていて、そんなに考えすぎてはいつか胃に穴が空きますよは何度か忠告したりもしたけれど。誰に対しても厳しいのは、誰も危ない目に合わないように律しているだけで、己に厳しいのは、自分の都合よりも皆のことを考えているだけで。規律を重んじるのは、自分が守らなければ示しがつかないと過剰に反応しているだけで、誰よりも国のために動こうとするのは、彼自身の心の現われであって。
 国に流れている噂ほど冷酷でないし、怒り狂ったりもしない。ただ一人の男の人で、少女とあわせてたった二人の、自分に笑いかけてくれる大切な人なだけなのに。

 でも、それはそれで、少し独占感もある。国の誰も知らなくて、自分だけが知っている優越感。

「んー、なぁになぁに? なぁに笑ってるのー?」
「な、何がっ!」

 うっかり顔に出ていたのだろうか。
 物思いに更けている間に、気づけば少女の顔が眼前に迫っていた。はっとして口元を触る。人差し指に感じる、自らの頬の緩み。

「なーに考えたかおねーさんに言ってみなさーい? ほらほらー」
「ちょっ、ちょっと! やめ、やめなさい!」

 わいわいきゃあきゃあ言いながら、少女二人は笑って夜半を過ごす。
 明日は、騎士団副団長セニア=トリスタンの、初出勤の日であった。






 セニア=トリスタンが騎士団副団長に就任したという話は、翌日には、正式な告知があった騎士団内だけでなく、一般市民にまで伝播していた。騎士団の花形である第一師団副師団長に十五歳で就任した際にも、王族の贔屓だという声は少なからず上がっていたが、今回の出世はあまりにも衝撃的過ぎたのだろう。彼女と王族、そして騎士団を疑う声は、この日を境にあっという間に民衆に広まっていった。

 そのこと自体、当然セニア本人は予想がついていた。嫉妬の目も、謂れのない中傷も、表立って晒されたことはないが、影からの言葉にはもう幼い頃から慣れきっていた。
 だがそれでも、今回の重圧はその比ではなかった。騎士団に入団することも、また、隊長になることも、そう容易いことではない。誰もがなれるわけでもない。それなのに、まだ二十歳にも満たない自分が、騎士団の副団長だ。これが贔屓でないと、誰が言えよう。

 その疑惑の声を止めるには、自らが副団長の器であるということを実力で見せ付けて、妬みの声を叩き潰すしかない。今までだってそうやってきた。そのために剣の腕を磨き、騎士団に貢献し続けた。今回も、そうすればいい。
 就任の挨拶を終えたセニアは、司令部の詰め所で一人、壁に背を預けてぼんやりと天井を眺めていた。どれだけ冷たい視線に晒されても、自らの実力を見せ付けて認めさせるしかない。その覚悟は、していた。それでも、数百人を越す騎士団の兵の前で受けたその言葉のない刃は、ふと気を緩めば泣きそうになるぐらい、辛かった。
 ヘルムを目深に被る。後頭部の金具が自らの髪の毛を噛んで痛みが走ったが、それでも構わずにヘルムを押し込んだ。

 こんこん、と扉をノックする音が聞こえた。今は各騎士はそれぞれの詰め所に戻っているはずだ。伝令か何かだろうかと思って、セニアは居留守を使おうと扉から視線を外した。先程の今で兵と顔を合わす気力は、さすがの彼女も持ち合わせていなかった。
 それでも、ドアノブを捻る音がして、蝶番が開く。セニアは胸に空気が差し込まれる音が聞こえて、咄嗟に声を上げていた。

「何をしているか! ここは団長格以外立ち入り禁止だぞ!」
「そうだな。そして私は団長だが」

 目深に被ったヘルムを上げる。頬を掻き、困ったように苦笑を浮かべ、赤い瞳を細めて入り口から動けなくなっているロードナイトの姿が目に映り、セニアはあわあわと慌てて息を吸い込んだ。

「す、すみません! セイレン様と気づかず、その、申し訳ありません!」
「何だ、緊張でもしてるのか、セニア様」

 物凄い勢いで頭を下げるセニアに、今度こそ騎士団長セイレン=テルフォードは苦笑ではなくて声を上げて笑った。そのままセニアの隣まできて、下げられた頭をぽんぽんと叩く。

「挨拶、大変だったな。ちゃんとやれてたよ」
「……そう、でしょうか」
「ああ、そうさ。私のときはもっと酷かったからな。噛まないか、粗相をしないか、三日前から眠れなかったんだ」
「その光景が目に浮かびます。その頃から胃痛持ちだったんですか?」

 セイレンが言う軽口に、セニアはようやく笑みをこぼした。
 元来、セイレンはこのような軽口は滅多に口にしない。心配性で臆病で不器用な彼は、どうしようもないほどにガラス張りの気遣いしかできなかった。しかし、その気遣いがセニアには嬉しく思う。他の誰もがするような上辺だけの言葉ではなく、単純に自身のことを考えてくれているのだと、彼が不器用だからこそよくわかるのだから。

「胃痛持ちとは言ってくれるな。まだ持病にはなっていないんだからな」
「私はいつセイレン様がそうなってもいいように、ちゃんと薬師に言付けていますから」
「いい部下をもって幸せだよ。涙が出そうだ」

 苦笑して、セイレンは手身近の椅子に座った。机の上に乱雑に散らばっていた書類を拾い上げて、横に転がり落ちていた判子を手繰り寄せる。
 ざっと内容に目を通して判を押しながら、セイレンは未だに壁際で突っ立っているセニアを手招きして、テーブルを挟んだ対面に座らせた。

「あんなに小さかったセニア様が、もう私の部下か。時が経つのは早いものだ」
「そうです、もう私はあの頃の私じゃないんです。今は貴方の部下なんです。だから、いつまでも様付けしないでください」
「……そうは言ってもな。確かに君は私の部下だが、その前に姫様だろう」

 判を押す手を止めて、苦笑してセニアへと視線を上げる。
 セニアはその言葉に少し頬を膨らませて、そっぽを向いた。

「もう貴方は、私の指南役ではないんです。もう、客人ではないんですから」
「そうか……そうだな」

 セイレン=テルフォード。彼個人の名は確かに民衆へ広まっているが、それ以上に、彼の出自であるテルフォードの名はプロンテラ王国では広く認知されていた。数代に渡って騎士団幹部に名を連ね、騎士団団長を歴代務めてきた名家である。また、家名だけではなく、質実剛健を基本とした家風は色褪せることなく今も引き継がれ、彼自身を以ってして騎士団一の腕前として認められていた。
 家柄で騎士団団長の座を奪い取ったという妬みの声は、就任当時一切上がらなかった。それだけの腕が、技量が、器が。そして、テルフォードの名が、彼を騎士団団長以外の席を用意しなかった。

「わかったよ。私が退役するまで……もしくは、君が私の変わりになるまで、君は私の部下だ。それに、そうだな」

 十年前。騎士団に入り、周りの妬みの視線に負けずと剣を振り、剣の腕を認められて。そして、まだ十も数えない年齢だった彼女の剣の指南役にと任命され。
 その頃からの付き合いになる目の前のお姫様に向けて、セイレンは双眸を向けて、しっかりと頷いた。

「私が様付けしていたは、周りの者に示しがつかないからな……改めて、これからもよろしくな、セニア」
「……はい! よろしくお願いします!」

 飛び跳ねるような元気のいい返事に、セイレンは苦笑して再び書類の方を向いた。机の上に散乱していた書類はまとめてみるとそれなりの量があったらしく、ぺたぺたと判を押す音だけがそう広くもない詰め所に聞こえる。
 幼い頃からセイレンのことは知っていたが、騎士団長として働く姿は初めて見た。自分も第一師団で副師団長として働いていた頃は部下への指示や書類仕事が多かったが、どうやら、これからもそう変わりそうにはないようだ。むしろ、それぞれの部隊である程度の指示系統が確立している時点で、ここへ持ち込まれる仕事は騎士団全体に関する仕事なわけだから、そういう仕事がメインになるのは仕方ないのかもしれない。

「私は何をすればいいですか?」

 認可がいる仕事はできないが、それでも自分の権限が通じる範囲の仕事はできる。そう思ってセニアは声をかけたが、セイレンは少し眉根を寄せて唸った。

「んー……今日はセニアの就任挨拶があったから、仕事は大体片付けていたんだよ。就任早々動かないといけないほど、今忙しい時期ではないしね。部隊の再編も終わったばかりだから」
「そう、ですか……」
「何だ。そんなに働きたかったのかい」

 セイレンに問われ、セニアは口の端を噛み締める。

「私は早く、認められなければいけませんから。まだ実力が伴っていないのは、私自身もわかっていますが……だから」
「……そうか、そうだな。君も、当然その壁にぶつかるよな」

 騎士団に入団した頃を思い出したのか、セイレンの声もまた、愁いを帯びていた。
 目の前のセニアの悔しそうな顔を視界に収め、書類へと目線を下ろす。その書類に自らのサインを書き入れ、サインを押した後、視線を落としてしまったセニアの前に書類をすべり込ませた。
 顔を上げてこちらを見るセニアに、セイレンは持っていた羽ペンを差し出した。

「そんな君にうってつけの仕事がある。本当は第五師団だけに任せようと思ったんだが、どうだい。一緒に行くか?」

 セイレンに言われて、セニアは再び書類へと目を通す。
 誰が書いたのかはわからないが、荒々しくて少し読みづらい字を必死に追う。柳眉を寄せていた彼女の端整の顔が顔が段々と驚きに染まっていくのを眺めながら、セイレンは彼女の返事を待たずに言葉を続けた。

「私の仕事としては最近は落ち着いているけどね。騎士団としては、そうも行かないんだ。君も第一師団にいたのなら聞いているだろう」
「ええ。トラス師団長がよく伝令に怒鳴っているのを聞いていましたから」
「トラス君か。確かにまぁ、彼はそういう気質だね」

 セイレンが差し出していた羽ペンを、セニアは受け取った。

「ゲフェン郊外の第三防衛拠点からの応援要請があってな。ゲフェンは我が国の魔法学の最重要都市だ。だからこそ、防衛戦に長けた第五部隊をぶつけることが先週の会議で決定した」

 セイレンの声を聞きながら、端整な文字で書かれている彼のサインの横に、自分の名前を連ねる。
 そして、今日受け取ったばかりの判を、目の前のインクをつけて、書類へと押し付けた。

「最近あの辺は魔物の数が急に膨れ上がってきたから、兵も疲弊していてね……名目は、防衛部隊への激励、そして陣頭指揮を執ることによって兵の士気を高めること」
「そして、さしづめ、私のお披露目会、といったところでしょうか」
「見世物にする気はないんだけど、な。それでも、初の指揮としてはいい機会だと思う。人間同士の争いより、余程やり易いはずだ」

 自虐的に言って書類を返したセニアに、セイレンはさらっと重大な単語を混ぜて書類を受け取った。

「……え、まさか私が指揮を執るんですか!?」
「見世物にする気はないが、飾り物にする気もないぞ。大丈夫、私も随行して助力するから」

 肘を立てて掌を組み合わせてこちらを見やるセイレンに、セニアは小さく呻いて冷や汗をかいた。
 昔から剣の修練となると一切の手加減がなかったセイレンだが、どうやらそれは仕事の面に関してもらしい。普段は優しく話しかけてくれたが、なかなかどうして、彼の帝王学はスパルタのようだった。

「ゲフェン郊外の防衛戦。何、相手は隊列も陣もないただの魔物だ。セニアなら捌けると、私は信じているよ」

 それでも、笑顔でそう言われるとぐうの音も出ない。
 自らの実力を見せ付けるいい機会で、そしてそれは自分も望んだ。早く皆に認められたい。早く、目の前にいる彼に、認められたい。

 それに、自分がもし何か失敗しても、後ろに彼がいる。一人で赴くわけではない。独りで、あの冷たい刃の前に晒されるわけではないのだ。

「……不肖セニア=トリスタン、全力を以ってその任、お受けいたします」
「ん。君の戦果を、期待しているよ」

 ゲフェン郊外第三拠点防衛戦。
 こうして、セニアの騎士団副団長としての初仕事が、決定した。
by akira_ikuya | 2011-05-19 01:08 | 二次創作


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