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Epilogue4

 一年ぐらいまったく書かなかったこともあり、話数的にそんなになかったはずなのにえらく長かったこの作品。
 やっとこさ完了しました。
 ていうか、割とあちこちで「カヴァク=イカロス」って書いてる箇所があるからいつか修正しないと。

 ……ALいつ着手しよう。



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 『決して自分を見失わないでください』
 『ぼくたちを、助けてください』

 笑わせる台詞だと、思う。
 理想の原点と思考の果てをぶつけ合って、自分は負けた。無残なまでに負けた。その自分に向けて、助けてと言う。その台詞は敗者にこそ許されるというのに。

 息絶えるまで抗うつもりだった戦争は、たった一人の怯えた瞳に打ち砕かれた。
 戦いで負けたのではなく、戦う前に負けた。あのような結末になるのなら、そのまま首を刎ねられていたほうがまだマシだった。
 スタンピートに支配されるわけでもなく、殺意に支配されるわけでもなく。過去ずっと殺し合いをしてきた人間と、その点しか違わなかったのに。
 自らの意思で刃を持たない者に対し殺意を持てなかった、なんて。

 とんだ笑い種だ。暗殺者だった過去が泣く。
 そんな覚悟で、今まで自分は何度も手をかけてきたのか。

「……」

 煙が、欲しくなった。
 一時の快楽を確かに与えてくれるが、体の中に毒として蓄積する。それ故に滅多に吸わないのだが、こういうとき、煙草でも吸って憂さを晴らしたいと思うのは、間違えているだろうか。
 しかし、数年に一度吸うか吸わないかわからないものを部屋の中に常備しているわけもなく。
 彼はため息をついて、寝転んでいたベッドから身を起こした。見上げていた天井は自分に閉塞感しか齎さない。がらんどうのように何もないこの殺風景な部屋でも、その息苦しさは変わらなかった。
 脱いだままの鎧を着込む元気はなかった。壁にかけてあった赤錆色のスカーフだけを引っつかんで部屋を出る。寒さを和らげようと口元まで巻きつけたソレは、くすんだ色と相まって血色の記憶しか呼び起こさなかった。

 自分は今まで、何人も、何回も、殺してきた。
 名前も知らない他人。赤い目をした仲間。影のような他人。灰色な気配の仲間。何度も何度も、その血を浴びてきた。
 それなのに、殺せなかった。名前も知らない他人でもない、赤い目をした仲間でもない。名前を知っている仲間で、赤い目をしていない仲間を、殺せなかった。

 それが自分の限界のような気がして、ならなかった。
 殺せずに、そして自ら死ぬことも選べなかった自分を見て、あの少女は何と言うだろう。
 あの少女に、自分は、何と言って欲しいのだろう。

 そこまで思考して、エレメスは笑みを口元に零した。
 煙草といい、この思考といい。結局は、逃げ続けているだけの自分がどうにも哀れで、滑稽だった。

「よぅ、珍しいな。お前がこんなとこに来るなんて」
「そうでござるか? ……そうでござろうな」

 目的の場所にたどり着いた時、前方からふと声をかけられた。石段に腰掛けた彼は、振り向くようにしてこちらを見つめている。
 その口元からはゆらゆらと煙が上がっていて、吸い終っただろう吸殻が、彼の腰の周りに二、三、散らばっていた。

「お前吸うんだっけか。んだよ、そんなら誘うのに」
「嗜む程度、とすら言えない頻度でござるよ。それゆえ、自前のを持ってないでござる」
「じゃあオレのやるよ。吸いかけだけどな」
「死しても断るレベルの間接キスでござるな」

 あらか様に嫌な顔をしながら、彼、ハワード=アルトアイゼンの隣に腰掛けた。ハワードはにっと笑って、眼前にたまっている水に煙草を押し付ける。そして、懐からまだ封を切ってない煙草の箱を取り出て、エレメスの胸元へ投げやった。

「死なれちゃあ困るな。仕方ねぇからやるよ」
「いくらでござるか」
「あー? あー……んじゃ、お前のキス一つで勘弁してやる」
「ではお返ししよう」
「嘘だ嘘。ったく、やるって言ってんだろ。んな顔してる奴に売りつけるほど、オレも腐っちゃいねぇよ」
「……相済まない」

 自分がどんな顔をしているのか、廊下の水面を見やっても、よくわからなかった。
 三階部の廊下には、何故だか水で溢れているエリアがある。廊下の途中で窪んでおり、そこから奥へと繋がる部屋全体が水浸しになっているのだ。特に誰かが触ったわけでもなく、滾々と奥から水が湧き出てくる。水を掻き出して部屋として使うことも適わず、かといって、水質の面で疑問の点も多いが故に飲み水にも使えず。結局こうして、生体工学研究所唯一の喫煙者であるハワードの喫煙所として機能していた。ここならば水だけは掃いて捨てるほどあるので、火事の心配も無用だという理由ではあるが。

 ハワードは中々のヘビースモーカーで、自分の担当の仕事がないときはよくここに一人で来ている。
 在庫があれば適当に数本売ってもらおうと思っていたのだが、まだ封も開けてない新品をもらうことになってしまった。

 小刀で封を開け、一本を口に銜える。火を、と思って腰のズタ袋に手を伸ばしたところで、ハワードの野太い指に納まった簡易ランプが突き出された。顔を上げる。ハワードはニヒルに笑い、指を弾いた。火打石の音がかちりと鳴る。魔術よりも簡単に灯された灯火に頬を撫でられ、エレメスは唇に銜えた煙草を火に近づけた。

 無機質な煙が口内を素通りして、肺の中に溢れる。勢いよく吸い込んだ久方ぶりの紫煙は、味わう必要もないくらい、辛かった。

「さて、と。ほら、これ貸しとくぜ」
「……? ハワード殿はもう吸わないのでござるか?」
「さっきので打ち止めだよ。んだよ、そんな顔すんな。犯すぞ」
「何真顔で自殺願望をのたまっているのでござるか。介錯なら無料で果たすでござるよ?」
「連れねぇなぁ……ま、それはお前にやんよ。いい加減禁煙しろってアルマに散々言われてるしな」

 オレに禁煙しろなんて、鍛治をやめろって言ってるようなもんだぜ。
 ハワードはからからと笑いながら、あたりに吸い散らかしていた吸殻を片付ける。数えるに優に十は超えているだろうその現状を見て、確かに、禁煙など本人が言うとおり望めるはずがない未来だった。
 集め終わった吸殻を、脇においていた袋へと適当に投げ入れる。吸殻入れだったのだろうか。初めからそこに捨てておけばいいものを、と、ぼんやりとその所作を眺めていたエレメスに、ハワードは続けて声をかける。

「持ってると、どうしても吸っちまうしな。お前も一箱あるんだ。火がないと不便だろ」
「拙者だって部屋に帰れば、火ぐらいは」
「はっはっは、それもそうだな」

 またしても豪快に笑って、しかし、ハワードはエレメスに渡した簡易ランプは受け取らなかった。

「その箱全部吸いきるぐらいここにいりゃ、ちったぁその顔も晴れるだろ」
「……」
「あー、吸いすぎには注意しろよ。匂いつくからな。特に、お前がつけてるようなスカーフとかに」
「全部吸えと言ったり、吸いすぎるなと言ったり。一体どっちでござろう」
「はっは、どっちだろうな。ま、匂いつけると、姫さんはともかく、嬢ちゃんには怒られるぜ」

 言うだけ言って、後手を振りながらハワードは去っていった。口に銜えたままの煙草は、フィルターの部分まで火が差し掛かっていて、エレメスは無造作に水面に煙草を押し付ける。そして二本目を箱から取り出して銜えた所で、がらんとしたこの水路を明け渡してくれたのだと、今更ながらに気づいた。水面に映った自分の顔が、今度こそよく見えた。本当に、笑えるぐらい、間抜けな顔だった。
 まったく、弱音を抱える暇すら与えてくれない。借り受けた簡易ランプで火をつけて、エレメスは腰掛けたまま天井を仰いだ。

 天井の高さは、自室と変わらない。
 それでも、煙が自由なままに昇っていく先を見つめていると、ほんの少し、息苦しさはなくなっていった。

 この煙草が吸い終わったら、あの少女に会いに行こう。
 煙草臭いと怒られないように、この煙草で、逃避行は終わろう。
 自分は逃げてはいけない。あの約束を果たす、その日まで。尊いまでのヤクソクを、マモル、カギリ。
 






 ――――全生命反応、良好。






 パネルの上で鳴動していた文字が、波を引くように収まっていった。
 しばしお互いの温もりを感じていた二人は、何かの完了を告げる端末の鼓動を聞いて抱擁を解いた。
 端末のほうへ向き直ろうとするカヴァクの体を捕まえて、トリスは一度、彼の唇に自らの唇を押し当てた。

「何してるの?」

 パネルの下に備わっていたコンソールを操作しているカヴァクの邪魔にならないように、もはや包帯の体を成さない赤色の布切れを剥ぎ取って新しい包帯を巻きつけていく。傷の治りを早くする軟膏を塗ったところで、ほとんど意味を成さないであろうということはわかってはいたが、それでもトリスは傷口に残っている量を全て塗り込ませていった。

「この世界が滅ぶ、って、さっき言ったよね。それを、防ぐんだ」

 錐刀のチップをケーブルから分離させ、自らの体に刃を当てないよう慎重にチップを柄の部分へと戻す。そして、その錐刀を動作していない端末に深々と突き刺した。ぱすん、と間抜けな音がして、端末から煙が上がる。

「この錐刀は、物質とかに対してはただの短剣なんだ。ほら、刺しただけだと、特に何もおきないでしょ」

 苦しそうに一度息を吐いて、カヴァクは説明を続けた。

「けどね。この錐刀は、ぼくらを少しでも傷つけると問答無用でぼくらを殺してしまう。この世界で決められた、絶対的なルールの一つ」

 コンソールを操作して、いくつものウインドウを開いては閉じて、開いては閉じていく。トリスはその動きを目で追うのを諦め、カヴァクの止血作業に専念した。

「この短剣は、物質的ではなく、かといって、精神的でもなく、情報として、ぼくらを殺す。――――なんて、言えばいいかな。……ふ、っ。はぁ……ん、ごめん。ええと、そうだね。ぼくらの命は、全て、情報として管理されてるんだ」
「命を、管理?」
「そ。その管理しているデータは、錐刀が持つプログラムがぼくらの命のデータに触れると、即座にぼくらの命を破壊する。データとして、ね。傷なんて小さなものだよ。……。少し、小さな穴が開くぐらい。それでも、ぼくらは、死んでしまう」
「何でそんなものを兄さんが……?」
「それが彼の役割、だったからだよ。彼はこの短剣を持つことを許されている代わりに、大事なものを、人質にとられてる」
「……兄さん、が」
「……。事が終われば、きっと、自分から話してくれるさ」

 そのときには、きっと。
 君は、何も覚えていては、くれないだろうけれど。

「でもね、その短剣は、ぼくらの命を壊すためだけの存在じゃ、ないんだ。そう、この世界の、このシステムのものなら、何でも壊すことができる。なんだって、壊せるんだ。そう、たと、えば」

 コンソールを動かしていた手を止める。
 モニターには、点滅する大きな四角いウインドウ。カヴァクは、持てる力の全てをとして、コンソールに備わっていたキーボードを叩きつけた。

「この閉じた楽園の壁さえも、ぶっ壊せる」

 モニターの中に浮かび上がっていた四角いウインドウが消失し、ユミルの心臓が再び緑光を放つ。その眩しさに思わず手で視界を覆ったトリスは、手の隙間から、カヴァクが悪戯を成功させた子供のような笑顔で笑っているのを、確かに見た。

「これで、ぼくの存在がシステム認知されても問題ない――――さぁ。どうする。ぼくらはもう、独りじゃないぞ!」














 更に深い階層で、その端末は静かに稼動した。
 もはや百年以上放置されていたにもかかわらず、遠隔で受けた命令を受信して健気にもその使命を全うする。

 受け取ったデータは、数十行程度の文字列。
 その文字列を、今まで誰も破りえなかったネットワーク防壁を意にも介さず。

 セージキャッスルへと転送した。


『 被検体0821 ウィンザー=テルフォード。シリアルNo.01 セイレン=ウィンザー
  被検体---- エレメス=ガイル。シリアルNo.02 エレメス=ガイル
  被検体0078 カトリーヌ=ケイロン。シリアルN0.03 カトリーヌ=ケイロン
  被検体0005 マーガレッタ=ソリン。シリアルNo.04 マーガレッタ=ソリン
  被検体1193 セシル=ディオン。シリアルNo.05 セシル=ディモン
  被検体2021 ハワード=アリスン。シリアルNo.06 ハワード=アルトアイゼン
  被検体---- セニア=トリスタン。シリアルNo.07 イグニゼム=セニア
  被検体---- ヒュッケバイン=トリス。シリアルNo.08 ヒュッケバイン=トリス
  被検体---- ラウレル=ヴィンダー。シリアルNo.09 ラウレル=ヴィンダー
  被検体---- イレンド=エニス。シリアルNo.10 イレンド=エベシ
  被検体---- カヴァク=イカルス。シリアルNo.11 カヴァク=イカルス
  被検体---- アルマイア=ディバイン。シリアルNo.12 アルマイア=デュンゼ

  以上、十二名。
  過去を消し去られてなお、ここにいる。
  ぼくたちは、ここにいる。   』






 ――――全生命反応、良好。










 記憶は繋がらない。
 けれど、想いは繋がっている。


「あれ、あんたがわたしの部屋に来るなんて、珍しいね」
「んー……そうかな? おかしいな、ぼくとしては一分一秒たりともトリスから離れた覚えはないんだけど」
「はいはい。そんなこと言ってるとまた兄さんに追い掛け回されるわよ」

 もう二階部の皆は、皆にとっての兄のような存在だった青年の存在を忘れることはない。
 あの期間は子供たちが見た僅かな夢にすぎず、その記憶は、決して繋がることはない。

「それも、いいさ。そんな日常も、毎日も、ぼくは、大好きだから」
「……ねぇ、あんた。変なもんでも食べた? ちょっと大丈夫?」
「しっつれいだなぁ、トリスは。トリスは、毎日が好き?」

 覗き込むようにして鼻先に近づいてきた少年に、少女は僅かに頬を染めて、それでも何処となく嬉しそうに返答した。

「……そだね。好きだよ。あんたがいて、皆がいる。そんな毎日が」
「そか」
「ん」

 お互い短く応答して、示し合わせたように両方とも目を瞑る。

「どれぐらい、好き?」

 そして、少年が訊ね。

「――――あんたを想うよりは、下だよ」

 少女は、そう答えた。
by akira_ikuya | 2011-02-16 00:15 | 二次創作


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