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Epilogue3

 そして結局エピローグすら2段構えになってしまったという。
 むしろ2段で入るのかなぁ、これ。



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「ぼくたちはおそらく、もうあなたには勝てないでしょう。それがシステムの意思であって、組み込まれてしまった以上、ぼくにはもうそれに抗えない」
「ぼくたち、と、申すが、畢竟、全てはお主の勝利でござろう」

 二階部の食堂の机は長方形をしていて、普段は長い方の辺に水平にして二階部の面々は並ぶ。
 しかし、巻いたスカーフを崩さずに紅茶をすする少年と、片手に顎を乗せて机に肘を突く銀白色の鎧を外した長髪の青年は、短い辺に座って遠い距離でお互い向き合っていた。目算三メートル。招いた方は既に奥に座って紅茶を飲んでいたので、招かれた方は仕方なく下座に落ち着いている。尤も、その席には紅茶も何もなく、この冬の寒い中コップ一杯の水がでんと置かれていたのだけれど。歓迎するつもりがないなら呼び出すなと、頬杖をつきながら心底ため息をついた。

「そうですかね。ぼくとしてはまだまだ未熟だったと、思いますけど」
「拙者が討ち取れたのはセニア殿と、アルマイア殿。その二名だけでござる。それでなお、どうしてその言葉が言えるでござるか」
「あなたが今言ったではないですか。二人とも、失った。未熟に尽きる言葉でしょう?」

 ぎり、と歯を噛み鳴らした。
 涼しげな顔をしながら紅茶に口をつけていたカヴァクは、そこでようやくカップから唇を離して小さく笑う。

「はは、あなたもそんな顔、するんですね」

 その声はとても空虚で、エレメスは双眸を覆う前髪の隙間からカヴァクを見据えた。

「おっと、もういざこざは無しですよ。もうぼくにはあの状況は作り出せません。あなたが手を出せば、今のぼくを殺すのなんて五秒もあれば十分でしょう。でも、五秒もあれば、ぼくは全力でトリスに助けを求めますよ」
「殺す気ならば、この席に座ることはなかったでござろうよ。……ああ。本当に殺す気では、あったんだがな」

 ぽつりと、ごちる。
 仮面も何もかも剥ぎ取った彼の言葉に残されていた感情の残滓は、焦がれるほどに深い諦観が込められていた。

「ええ、こちらも本当に殺す気でしたよ。でも、仕方ないじゃあないですか……ぼくは、ほら。人殺しには、させれませんから」

 カヴァクは背中に手を回して、腰に携えていた短刀を手にとる。
 その短刀をエレメスが見える位置まで持ち上げた後、無造作にそれをエレメスに向かって投げつけた。

「それ、お返しします。いじらせてもらいましたけど、基本的なとこには何も触ってないですから」

 エレメスは避けもせず、その短剣の先端を見据えていた。短剣の推進力はすぐに下を向き、エレメスの元へ到達する前に木目の机に突き刺さった。先端が尖り、持つ手は片手で握り締めるとほとんど柄が見えなくなるほどにコンパクトな錐刀。あの日、あの戦いで。両手をもがれ、両足を灰にされても抗い続け、最後まで死守したその短刀。
 それを無造作に、カヴァクは、エレメスへと向かって投げ返した。

「用件はそれだけでござるか」
「ええ、こちらからは。エレメスさんからは、何かありますか?」
「……真意を、問いたい、と申したら?」
「そうですか。お帰りはその扉からどうぞ」

 帰って来た言葉に、エレメスは両肩を竦めた。突き刺さっていた短刀を、投げ捨てたカヴァクのように無造作に引き抜き椅子から立ち上がった。錐刀を懐の中の鞘に収める。そして、嫌がらせの礼とばかりに、コップを取って一気に水を喉奥へ流し込んだ。

「それ、毒入ってますよ」
「左様でござるか。拙者を殺したいなら、全てを毒にする必要があるでござるな」

 踵を返す。
 同じ色のスカーフをした二人は、ついぞ視線を一度も合わせないまま、訪問者は部屋を辞そうとして。

「エレメスさん。あなたは、本当に何もわからなかったのですか」

 カヴァクは、ようやく。
 エレメスの顔を、見た。

「……ああ、今でも何も、わからないままでござるよ」
「……」
「拙者の何が間違えていたのか、お主の何が正しいのか、結局拙者には何もわからないままでござる。それはカヴァク殿、お主も同じであろう?」
「……」

 紅茶で喉を潤したはずなのに、カヴァクはエレメスを見つめるだけで言葉を発しなかった。
 エレメスは振り向いた体勢のまま、けれどカヴァクに言葉を続ける。

「拙者たちは相計れない存在、とは、言わないでござるよ。畢竟、同じところに行き着くでござろう。それでも、殺しあった。それが何故かわからないお主ではなかろう」
「……」
「お主は言った。拙者は、システムに操られている、と。けれど、今、拙者はこうしてここに立っている。自分の意思で、だ。それがまやかしというのであれば、カヴァク殿、お主の存在は誰が保証してくれるというのでござるか」

 その言葉を否定できる存在は、もう何もいない。
 カヴァクの存在もシステムに認識されてしまった以上、ここにいる十二人全て、サーバの管理下に置かれてしまっている。
 もはや自由な意思など誰も存在せず、自分を信じるしかないこの道で、しかし、自分が最も信じるに値しない存在に成り下がってしまって。

 その中で、似たもの同士の二人は、机を挟んで向かい合う。

「結局は、自分の信じるものに従うしかないので、ござるよ。それが偽であったとしても、真であったとしても。たとえ、先刻のように。仲間に殺されることになろうとも」

 カヴァクの目元が僅かに歪む。
 エレメスは片眉を器用に下げて、今度こそカヴァクに背を向けた。カヴァクが立ち上がって椅子を引く音が聞こえる。
 扉に手をかける。冬の空気に当てられた真鍮の取っ手は、馴染まない体に反発するかのように鋭利な冷たさで弾き返してきた。
 引きつる指で、握り締める。

「後、二週間後。―――――ぼくは、あなたに頭を下げに行くでしょう」

 聞こえてきたカヴァクの声に、しかし、エレメスはもう振り返らない。

「決して自分を見失わないでください。あなたはまだ、夢から醒めてすらいないんですから」

 取っ手を引いて、一歩踏み出す。廊下へと出る。
 扉が閉まっていく。エレメスは結局、最後まで、振り返らなかった。

「そのときは――――ぼくたちを、助けてください」





 ――――全生命反応、消失。




 舐めてかかったわけではなかった。
 どれだけ足掻いても、どれだけ背伸びしても届かなかった存在に対して手を抜くなんて、考えすらおきなかった。戦うフィールド、タイミングを熟考し、何度もシミュレートし、そして、奥の手ともいえるシステムの書き換えまでして臨んだ戦いは、誰の目をしてみても自分たちの圧勝で終わった。
 そう。圧勝で終わるはずだった。

「……つ、は、ぁ」

 カヴァクはヴァイオリンを杖代わりにして、寄りかかっていた壁から背中を引き剥がした。壁にべっとりとついた鮮血をできるだけ見ないようにして、足を無理やり奥へと進める。
 この姿を見て、誰が圧勝といえるだろうか。息絶えた仲間は二人。最前衛とも言える二人だけで、中衛二人、後衛二人はまだ存命だ。数字だけで見れば、被害は六分の二。しかし、生き残った四分の三が、こうして致命傷に片足を突っ込んだ状態ばかりなのだから、カヴァクの中では負けたとすら思っていた。
 そして、何より彼にとって堪えたのが。

「あんた、本当に大丈夫? ほら、肩に掴まって」
「ん……ありがとう、トリス」

 脇を支えてくれる少女へ、カヴァクは常では信じられないほど素直に体重を寄せた。腕を肩へと回して、しなだれるように鼻先を首筋にうずめる。
 そんなカヴァクを、振り払いもせずに背負ったまま、少女はカヴァクが歩こうとしていた方向へと歩みを進めた。

「……は、ふぅ……ごめんね。トリスも、傷だらけなのに」
「わたしの怪我なんて、あってないようなものでしょうが」
「……そっか」

 カヴァクの吐息のような相槌に、トリスは黒色の瞳を細めて心持早足で先を進む。彼女は言葉を発し、自らの意思で動き、そして、カヴァクのために、今二階部の廊下を進んでいる。
 カヴァクの服は未だに白と茶色で彩られた道化服で。
 トリスの服は未だに暗闇色の外套のままで。
 
 ヒュッケバイン=トリスは、今、ここで、歩みを進めている。

「ユミルの心臓、でいいんだよね」
「ん」

 傷に障らないように慎重に背負いなおす。背中を大きく切り裂かれているだろうカヴァクに取ってみれば、歩く際の僅かな振動さえも激痛のはずだった。
 それでも、その激痛など、彼の心に食らいついた悔やみに比べれば小さなことで。

 その原因は、ほんの数分前に遡る。
 セニアを初撃の不意打ちで失った後、カヴァクは他のメンバーを操作してエレメスを細い路地へと誘い込んだ。そこで待ち伏せしていたアルマイアとラウレルの高火力による一斉掃射を行い、自身は楽器を弾き鳴らしてメンバーの行動を誘導する。
 何ら間違いはない算段だった。全てが、巧くいっていた。
 それでも、相手は処刑者の名を冠する暗殺者であって。アルマイアが錐刀を腕に受け倒れ、イレンドは錐刀こそ受けなかったものの、次から次へと武器を切り替えてくるエレメスの一撃を受けて倒れた。そしてラウレルも、エレメスの両足を焼き尽くしたところで首筋を切り裂かれ、カヴァクは、呼吸するだけでも体中がばらばらになりそうな痛みを引き起こすほどに深々と背中をカタールで抉られて。

 しかし、それでも彼らは諦めなかった。
 エレメスもまた、諦めなかった。

 錐刀を奪うために、そして、自らが信じる未来を掴むがために。
 トリスは、自身が最も敬愛する義兄の首を刎ねようと。
 右手に携えた短剣を振り上げたところで。

 トリスは、深い夢から醒めてしまった。

 トリスの目の前に浮かんだ惨状は、右腕を塩酸と火炎によって焼き落とされ、左腕は肘から先がねじ切られ、両足は火炎の魔術で燃やし尽くされて、それでも口に錐刀を銜えて自分を睨みつける義兄の姿に、トリスの足元で背中から大量の血を流して倒れる愛する人の姿だった。

 声を上げるよりも先に、トリスは大きく息を吸い込んだ。一瞬でパニックになりかけていた思考を捻じ伏せる。振り上げていた右手を下ろし、短剣を腰の鞘へと叩きつける。そして、目の前で倒れ付している義兄と、目があった。
 義兄の口から、錐刀が零れ落ちる。

「トリス、お前――――」
「にい、さん……」

 そしてトリスの口からは、震えた声が零れ落ちた。
 必死に捻じ伏せた思考の中で、トリスはわめきだしたい気持ちで、それでも必死に口を押さえた。これ以上言葉を漏らすと、言葉と共に涙がこぼれ落ちてくるのを、我が事ながら何処か遠くに感じ取っていた。
 よろめいた足が一歩後へずれ、そのせいで、トリスの足に体重をかけていたカヴァクの体が崩れ落ちた。トリスの靴を舐めるようにして地を向いたカヴァクからは、息を潜めなければ聞こえないほどの浅い呼吸しか聞こえない。トリスはとうとう、口から手を離して、その場に膝を着いた。

「カヴァ、ク……兄さん? どう、して、何が――――」
「……目、醒めちゃったんだね……タイミング、わっるいなぁ……」

 困り果てたような声とは裏腹に、カヴァクは地面を睨みつけて修羅のように顔を引きつらせていた。トリスの靴が震えてるのが否応がにも視界に入る。唇をかみ締めて、カヴァクは両足に力を入れてその場に立ち上がった。
 背中の裂傷から、血があふれ出す。

「……ぼくらの、勝ちです。――――もらっていきますよ」
「…………ああ」

 言葉もなく覚悟の押し付け合いだけで始まった殺しあいは、勝利者の宣言と、敗北者の承諾によって幕を閉じた。
 膝に力が入らないまま、それでもカヴァクは錐刀を拾い上げる。そして、傍らに落ちているヴァイオリンを支えにして、エレメスへと背中を向けた。

 今この瞬間に、自分はトリスに切り殺されると、心の底から思っていた。
 一歩踏み出した瞬間に、自分はトリスに突き殺されると、心の底から願っていた。

 一歩、足を引きずりながら歩く。
 二歩、壁に手を突いて身を前に動かす。

 それでも、背中の傷に刃は突き立てられず、カヴァクは、まるで敗者のように、その場を去ろうとする。

「――――行け、トリス。カヴァクを、助けてやれ」

 その彼の背中を突き刺したのは、刃でも何でもない、敗北者の勝利宣言だった。
 口元を曲げて薄く笑んだ義兄を眼前にして、トリスは、もはや何も言えなくなった。手足がなくなり、血がとめどなく流れ、そしておそらく加害者なのであろう自分たちへ向かって、何故、そんなことが言えるのか。
 トリスは、エレメスの顔に手を伸ばした。エレメスは拒否もせず、双眸を閉じてトリスを迎え入れる。腕の中で抱きしめた義兄は、いつもよりも穏やかで、そして、凄く小さく、思えた。心の中で幾千もの懺悔の言葉を叫び、トリスは両目から涙を零して、そして、エレメスをそっと地面に横たわらせた。

「……行ってくる」
「……ああ」

 別れの言葉を残して、トリスはカヴァクに連れ添って二階部の廊下を進み。
 ただの一度もカヴァクを断罪せず、ただの一度もカヴァクへ問いかけもせず。

 そして。
 二人は、その場へ到った。

「そこの、パネルへ、連れて行って」

 カヴァクは一言一言区切るようにしてトリスへ告げた。
 トリスは一度頷くと、普段二階部の空調管理を操作するときにカヴァクが座っていた席へと歩き出した。

 カヴァクを椅子の上におろして、トリスはカヴァクからあずかっていた錐刀をカヴァクへと手渡した。
 カヴァクは錐刀を受け取ると、パネルからの側面から伸びてきていたケーブルを無造作に掴み取った。そして、錐刀の柄に埋まってあったチップを引き抜くと、びっしりと集積回路が埋め込まれたチップへとケーブルを接続した。
 今まで何の表示も移されていなかったパネルに、一斉に光が灯る。部屋の奥で鎮座してあったユミルの心臓が、緑色の輝きを一度、強く発した。

「――――トリス」
「……ん」

 カヴァクの体を支えるようにして後ろに立っていたトリスは、声をかけられて唇をかみ締めた。
 道中、彼へと訊ねなかったのは、彼を弾劾しなかったのは、ただ、真相を知るのが怖かったからだ。切れていた電源がいきなり点灯したように、自分はあそこで意識を取り戻した。部屋で眠っていたはずなのに、自分の足元にはカヴァクが崩れ落ちて、目の前には無残な姿になった義兄の姿があって。そして、自分の手には、唯一武器となりえる短剣が握られていて。

 トリスは、何もかもが怖かった。
 何も言えるわけがなく、何も、訊けるはずがなかった。

 それでも、背中の傷から血が流れ続けている中で、カヴァクはこちらを振り返ったのだから。道中で巻いた包帯を真紅に染めながら、彼は自分に告げようとしているのだから。
 いつもの道化のような笑顔も何もかも消して、泣き出すわけもなく弱音を吐くわけでもなく、ただ、彼にとっては精一杯であろう、真摯な顔をしていたのだから。

「ごめん」

 その言葉を、受け入れられても、受け入れられなくても、 

「ぼくは、君らを――――皆を使って、エレメス=ガイルを、殺そうとした」

 自分は耳を塞がずに聞かなければいけないのだから。

「……ねぇ、今日は、答えてくれるの?」
「……うん。もう、誤魔化す必要は、なくなったから」

 パネルの上で、文字が踊る。
 眠っていた五台の操作端末が、端から音を立てて眠りから醒めていく。その音は、穏やかな眠りから醒めていくエンドロールにしては、酷く破滅的で、酷く、不似合いだった。

「どうして、こんなことをしたの?」
「世界が、滅んでしまうから」
「誰が、そんなことをするの?」
「ぼくらの知らない、遥か昔の人たちが」
「あんたは――――本当に、カヴァクなの?」
「ぼくは、ぼくだ。カヴァクでも、シリアルナンバーイレブンでもない。ぼくは、ぼくという存在だ」

 答えながら、結局いつも煙に巻いている返答となんら変わらないじゃないか。そう、カヴァクは自嘲する。もしかすると、普段適当に受け流してる応答のほうが、余程筋が通ってるかもしれない。この会話に、何処に信じられる要素がある。荒唐無稽もいいところだ。
 それでも、カヴァクはもう、嘘はつけなかった。今まで塗り固めてきた嘘が真実だと思われても、それでも、カヴァクは、カヴァクにとっての真実を告げた。

「全部、必要なことだった?」

 トリスは、否定も疑いも、何もしなかった。
 そして最後に、カヴァクを抱きしめながら、そう問うた。

「うん」

 カヴァクはその問いに、短く、けれど、自らの全てを込めて、頷いた。
 トリスはカヴァクを抱きしめる力を強めた。
 姿を見ない四人。無残な姿だった義兄。背中を切り裂かれたカヴァク。その中で、手足に切り傷はあるものの致命傷と言えるものが一切なく、敵からも、味方からも大事にされたであろう自分。その自分が、果たして何を疑えるというのか。自らが最も敬愛する人を殺しかけたのは、自らが最も信じている人で。その過程を一切自分は知らない。おそらく、誰も知らなかっただろう。誰も知らないところで、自らが最も敬愛する人と自らが最も信じている人は、殺し合いを、始めていた。
 誰の傍にも立てなかった。最も傍にいたいと思っていた人の、隣に、立てなかった。
 悲しみはある。武器を手に取ったお互いに憎しみもある。
 それでも、トリスは。

「ごめん」

 その言葉がこぼれたのは、今度はトリスの唇からだった。

「独りにしてて、ごめん」

 カヴァクという少年を、どうしようもないほど、愛していたのだから。
by akira_ikuya | 2011-02-09 01:35 | 二次創作


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